worksは8/24に更新しました.

誰のためでもないスリッパ

ノースウッズの森で
大竹英洋(福音館書店)という
写真の絵本を眺めていたときのこと。

当時ミネソタ州に住む30歳の
写真家である著者が、
北アメリカの湖水地方(ほとんどカナダ)
を旅というか取材したときの絵本。

Googleマップでみても分かるけど
ノースウッズの地方だけでも、
日本の面積が全部入っちゃうんじゃないか
くらいの広大な森林と湖。

ひとけのない場所がたくさん。
そこでは人じゃない生物たちが主役。

森を散策しながら
ライチョウや、子ジカ、ムースなどの
生き物に出会い、森に満ちている気配を
感じる。



そのひとつに
ランの群落に出会うシーンがあります。

ランというと
高級な花のイメージ。

森で出会ったランも、
「きらびやかな貴婦人のスリッパ」
と言われるほど、珍しい形でうつくしい。

このページで、
うわっと思ったのが、この文章。

「一年に一度、それも7月の
たった7日ぐらいのあいだだけ、
この古い巨木におおわれた森のなかで、
この花は人知れず咲いているのです。」

「人知れず咲いているのです」って
読んで、一瞬でも、
「え、人に見られないのに、
なんでそんなにきれいに咲かせる
意味があるの?」
と思ってしまった自分がいたことに
うわっ、と。

たとえると、
山にこもる仙人みたいな陶芸家が、
売ったらひとつ1億円くらいの
値が付くようなツボを、
人知れず作っては、わり、作ってはわる。
という非常にもったいないことを
しているんじゃないか、
というのを知ったのと似た気分。

だいぶ人間中心で、
マネタイズ的な考えに
毒されてしまったな、と。

太陽が、人間のために照っている
わけじゃないように、
鳥が人を癒すために鳴いているんじゃ
ないように、
だれかが、だれかのためにしている、
なんていうことは、
自然界にはほとんどないんじゃないか。

自然界の中のもちつもたれつは
結果としてそう見える場合であっても、
たまたま適応しているだけ、
という気がする。

人のために尽くそうとか、
そういうことではなくて、
自然とこうなったんで、
自分でしたいからしているんで、
べつに、人に見られているとか、
人のためにとか、そういうの
考えたことないんで、
自分、不器用なんで、みたいな。

とてもクールなんだろうな。

そういうところ、
人間もちょっとは見直した方が
いいのかもなと思ってます。

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