深層言語
2006年9月のユリイカに
こんなことが書いてあった。
*
イギリスの詩人が書いた一遍が
入試問題に使われていた。
作者本人が
その問題を解いたところ、
百点満点で、なんと三十点だった。
*
そんなことって、あるんだ!
出題者が作者の意図を
正確に汲み取ることが
できなかったからなのか。
どうもそうじゃないらしい。
詩に表層的な意図や、筋道が
備わっていないのに、
意味を付け、設問にしようと
すること自体に無理があるのかも。
詩というものを、
「意味がきちんととれて、
筋道があるもの」というふうに
とらえているから、
どこかで無理が生じているのだ
と言われたりしている。
以下引用。
詩(に類する表現)は、
「深層言語」としか言えない
ようなもので、
言語にならないような意識下から、
これから意味になるのかなあ
というものが自然に生まれてきて
詩をなすわけだから
表層言語に翻訳することは
不可能なんですよ。
と谷川俊太郎が言っている。
*
深層言語を深層言語のまま
受けわたすことは、
できるのでしょうか。
ぼくが575を書く時に
腐心するのもそういうところ。
あれは筋道を気にしてない。
単語の重なりからイメージの想起を
引き出そうとする試み。
それは個人的な深層言語だとしても、
他の人とその感覚を共有するには
どうしたらいいのか。
何なんだろう、
どうなんだろう、と思いながら
黙って、地道に書いていくしかない。
うむむ。
2013/03/07