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深層言語

2006年9月のユリイカに
こんなことが書いてあった。
 

 
イギリスの詩人が書いた一遍が
入試問題に使われていた。
 
作者本人が
その問題を解いたところ、
百点満点で、なんと三十点だった。
 

 
そんなことって、あるんだ!
出題者が作者の意図を
正確に汲み取ることが
できなかったからなのか。
 
どうもそうじゃないらしい。
 
詩に表層的な意図や、筋道が
備わっていないのに、
意味を付け、設問にしようと
すること自体に無理があるのかも。
 
はっぱよはっぱ125
 
詩というものを、
「意味がきちんととれて、
筋道があるもの」というふうに
とらえているから、
どこかで無理が生じているのだ
と言われたりしている。
 
以下引用。
 
詩(に類する表現)は、
「深層言語」としか言えない
ようなもので、
言語にならないような意識下から、
これから意味になるのかなあ
というものが自然に生まれてきて
詩をなすわけだから
表層言語に翻訳することは
不可能なんですよ。
 
と谷川俊太郎が言っている。
 

 
深層言語を深層言語のまま
受けわたすことは、
できるのでしょうか。
 
ぼくが575を書く時に
腐心するのもそういうところ。
 
あれは筋道を気にしてない。
単語の重なりからイメージの想起を
引き出そうとする試み。
 
それは個人的な深層言語だとしても、
他の人とその感覚を共有するには
どうしたらいいのか。
 
何なんだろう、
どうなんだろう、と思いながら
黙って、地道に書いていくしかない。
 
うむむ。
 

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