柳瀬尚紀を読みたい
ことばあそびで、なにかコンテンツを
作ろうと思うと
そこにネタが必要となる。
ネタというのは、
たとえば、こんなもの。
「ひらがな一文字で表せる感情」と
その理由を「その一文字」で始まる
短文で示す。
みたいなこと。
「あえて うれしい あ!」
「いばって いじわる いー!」
「うそが ばれたよ うっ!」
など。
他には、ひらがな一文字だけで
できる顔を、
一文字に対して6つのバリエーションを
考えるというもの。
「みつけて あ!」
「おこって あ~!」
「ざんねん あーあ」
「まんぞく あー」
「あぶない あっ」
「きがつく あ」
などなど。
見つからない、
思いつかないことの方がおおい。
辞書を引いたり、
本を開いて単語を探したり、
向かいのホーム、路地裏の窓
こんなとこにいるはずもないのに…
One more chance !
…と、まさよし風に、
街の中を見たりもする。
*
このようにしてみると、
ネタというのは、機械の部品と
似ている。
さまざまな形や大きさの歯車や
バネやネジのように思えてくる。
全体の物語や意図に合う部品が
必要だけれど、
規格サイズが異なると
一見よさそうでも、使えない。
上記したネタの具体例のように
いい部品が見つかればいいけれど、
そもそも、適正な部品がないと
この企画自体が成立しないんだけど。
みたいなことになる。
たったひとつ部品が足りないだけで、
コテコテ築いてきたコテコテ城が
瞬く間に崩れ去ってしまう。
*
(テレビショッピング風に言えば)
そんなとき、あったらいいなと思うのは
こちら!
「日本語は天才である」
(新潮文庫)
柳瀬尚紀著
日本語は天才である。
どんなことでも可能だ。
どんなでたらめな、ひらがなの
組み合わせをしても、
そこに意味付けができる。
(意味付けチャレンジゲームを
やってみたい。今度。)
だから、日本語にできないことはない。
ネタが思いつかない時は、
このフレーズを思い出すと勇気づく。
ことばあそびは、技巧的に
なっていく部分があって、
回文とかものすごい長文を
作り上げたりできるし。
「フィネガンズ・ウェイク」という難著を
翻訳した柳瀬氏に言わせれば、
どんな翻訳もできないことはない。
ネタも無理だと思っても、
どこかに必ず答えばあるっちゃ。
と思う。
2018/05/09