最近、無意識
最近はほとんど無意識である。
作文を書いていないので、
文章化していない=ろくに考えていない、
と思った。
思っていること、
感じていることを文章化してみる、
ということを「意識」や「自覚」と
考えると、今の自分は
だいぶ無意識なのであった。
もっとも文章に書いていなくても
考えていたことはたくさんある。
でも、忘れちゃっている。
その場その場で、必要なことがあって
考えたり、思いついたりしたが、
それが必要でない今、引き出しがどこだか
分からなくなったような感じ。
また同じ状況に出くわすと、
セーブデータを読み込むように、
続きから考え始められるんだろう。
*
無意識というのは、すごい。
例えば、夏らしい景色をみたり、
夕立のあとの湿気に土や草の匂いが
充満しているところへいって、
ああ、これはいいな、と思う。
それから、絵や映画をみて、
なんかいいな、と思う。
ところが、いいな、と思って脳裏に
さも素晴らし気なイメージができた
としても、
気が付くと線香花火みたいに、
ぽとんと消えてしまう。
それをあとで、文章にしようとか、
絵で描いてみようかと、思っても
もう、なんだか
よく分からなくなっている。
でも、なんだかわからないのに、
すごいものをみているのは確かで、
すごいけど、それが
なんだかよくわからない。
逆にいえば、
なんだかわかんないのに「いいな」
と思える才能が、無意識にはある。
*
たとえば小説は意識の集合体。
一つ一つの文や台詞が必然性をもって
そこにある。
作るときは、普段無意識であるところを
全力で意識にひっぱる。
*
あ、そういう意味では、
絵や構成をずっと意識して描いていた。
文章ではなくて、絵で意識を集中させてた。
そうすると、絵はちょっとうまくなるけど
文章を書かないから、
ものすごく頭が悪くなったような、
というか、
面白いことを考えている人たちに
おいていかれちゃうような気分に
とらわれる。
もしかしたら、この作文は
そういうことに対しての
自分へのせめてもの償いとして
書いているような気もする。
もっとかけよ。
2017/08/14