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昔ばなし

お正月に神社に行くと
手をぽんぽん叩いてお辞儀をする。
 
前に並んでいる老夫婦なんかは、
とても上手にお祈りをする。
上手に、というか、自然に
心を込めて、という感じがでている。
 
ぼくというとぎこちない。
えーっと、こうやって、こう?
みたいな、お遊戯会の園児のように
なってしまう。つまりは、
お祈りするという実感が
わかないのだ。
 
きっと、自分より大きくて
尊い存在というものを、どこかで
信じられない、というか、
受け入れられないでいるのかもしれない。
 

 
ところで、
まんが日本昔ばなし」を
見ていると、こんなことに気がつく。
 
どの物語にも、
自分より大きな力をもっている何かが、
捉えきれない形で存在している、
ということが軸になっている、と思う。
 
パンのおかず152
 
こんな話。
 
●肝っ玉を自慢していた男が
夜の山にでた「赤うで」という
妖怪に脅かされ、その後、
男は謙虚になったという話。
 
●貧乏人のところに
七福神が引っ越してきて
とたんに物事がうまくいく話。
 
●山に山んばが出て
人を取って食う話。
 
●日照りの時期に滝壺の大蛇に
お供え物すると雨が降る話。
 

 
人知では及ばない物事との
付き合い方というようでもある。
 
あの山に行くと
山姥にとって喰われるぞ、
とか、
日照りが続くと
神様が不機嫌なんだ、
とか、
急に商売繁盛しだした家を
みて、七福神が住みついたんだ、
とか、
自分たちでは制御できない出来事を
そういう話として
認識していたのだろうか。
 
今では、経済の評論家や
気象予報士などが
それらの謎をちゃんと分析している。
 
昔の方が、なんだか実感に
近いような気もする。

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