官能はどこへいった
作品の制作過程のページを
早く更新しないと、と思っています。
別に誰というわけではないんだけど、
自分のなかの幻の観客がいて、
そいつが早よ早よ、と催促する。
そのくせ、こんなだらだらしたページ
を作ったってつまらんと言う。
そうやって、ぐずぐずしている間に、
大分時間ばかりが経ってしまった。
じつはいろいろ実験しているのだけど
どうしてもうまく行かない。
ぼくの作品の構造は、大きく分けて
ふたつの要素があります。
ひとつが、モノ(立体物)としての良さを
考えること。
もうひとつが、言葉の良さを考えること。
で、いちばんの問題は、この二つを
切っても切れない関係におとし込む、
という作業。
*
これがほんとうに訳が分からない。
じぶんで考えてやろうとしているのに
分からないなんて、変だけど、
全く意味すらわからない。
とくかく、一番逃してはいけないのは
官能性だとおもう。フェチというか。
モノとしての官能性。
言葉の官能性。
といってもイヤラシさ、
という意味ではなくて。
どういうところに人は生理的な快感を
得ているんだろう、ということ。
理屈はわからないけど、
それって心地いいぞ、みたいなもの。
いい天気のときに雑木林の
木漏れ日を気持ちいいと感じるのと
同じようなこと。
言葉とかモノとして
この官能性をかんがえる時、
ぼくは全然理解できていないな、
と思う。
で、そのエッセンスになる部分を
探そうとして
幾つかあてをつけた本を
あさってみるのだけど、
どこにもそういう要素は見当たらない。
なんというか、
ちょうど自分が求めている形での
言葉の官能性にあたるなにかを
まったく見つけることができない。
これが見つからないと
進めないのに。
どんどん時間が押しているのに。
2012/06/22