地球に住んでいるんだった
科学が発達したなあ、という実感って
じつはそんなに無いんじゃないと思う。
実際、ケータイのGPS機能は恐ろしいくらい
正確だし、iPhoneの「友達を探す」機能を
使えば「あなたそんなところにいたのね」と
すぐに分かる。
大分恩恵にあずかっているのだけれど、
でもそれって、どうやっているんだろう。
wifiにつなぐ、ということは分かっても、
どういう仕組みなのか、ぜんぜん知らない。
ぴんと来ない。
もし、電波とかwifiが目に見えたり、
肌の温度で感じられたりなんかしたら
直感的にも分かると思うんだけど。
*
50年くらい前の物理学者、
リチャード・ファインマンは
「この非科学的時代」という講演で
こんなことを言っている。
非科学的と言っても、
工学技術の応用という意味にとれば、
そしてその急速な発展のスピードを見れば
現在は絶対に科学的時代と言える。
けれど、人間の精神的姿勢や理解などに
大きな役割りを果たしていないという点では
現代を科学的時代だとは思いません。
*
これは今でもそうだなと思えるんだけど
工学的な技術としては、確かに
想像もできないくらい発達してると思える。
だからといって、
たとえば、科学が深まるに連れて、
地球や自然の偉大さが知れる、みたいな
精神的な影響ってほとんどない。
キリスト教とか仏教みたいには
科学は人の内面にあんまり影響して
いないんじゃないかなあ。
スマホを使って便利とは思っても、
この世界の仕組みは実にすばらしい、
とは思わないでしょう。
*
150年くらい前の作家の
シュティフターという人も、
「石さまざま」の序でこんなようなことを
書いている。
磁石の針で一定の時間ごと観察して、
北を向く精度を毎日ひたすら調べていれば、
あるとき磁気嵐がおそい
地表全体が一種の磁気の戦慄を感じている
ということが分かるのだという。
つまり、人の五感では感じられないことも
科学的な観察の積み重ねによって
精神的な眼を持つことができるのだ、
ということ。
この人は科学が人の気持ちや精神に
もたらす影響を
積極的に受け入れようとしている。
*
どんな街にいたって、満員電車に乗っていても
暗い宇宙のなかを美妙な均衡を
保って回っている地球に自分が
いるという事は変わらないでしょう。
ひどい地震や津波や火山があったときだけ、
自然の脅威と認識しているのでは
ちょっと遅いのかもしれない。
「そうだ、自分は地球に住んでいるんだった」
という実感が希薄だった。
いきなりスケールの大きい話に
なってしまうけど
常にものすごい力でうごめいているだろう
地球について、もうすこし知っていたほうが
いいなとじぶん自身が思う。
科学的な事実をたよりに
地球がどんなものかを、想像したり、
考えたりする、ということが
今後意味のあることになるだろうなと
思える。
2015/10/31