困っていてくれてありがとう
映画「アメリ」で、アメリが
盲目のおじいさんの手を引いてあげる
というシーンがあった。
アパートの自宅で見つけた古い宝箱を
元の持ち主にかえすという作戦を企て、
成功させたアメリは、一種、躁状態で、
おじいさんにこれ以上ないおもてなしの
道案内をする。
助けてもらったおじいさんは、
心に火が灯るように
ハッピーな気分になるのだけど、
助けた側のアメリもまた
同じ気分になっている。
私は人のために力になれるんだ、
というこの世に対する手ごたえを
感じる瞬間であった。
*
これと同じことをかつて自分も
体験したことがあった。
道で人ごみにたちすくむ盲目の方がいて
つい「どちらまで」と声をかけてしまう。
目的地まで案内を遂行すると、
「ありがとうございます」と2回くらい
言ってもらえたのだけど、
そのとき、ぼくは同じくらい
「こちらこそ」という気分だった。
人助けできたことが、
とってもうれしかったのだ。
…ともすれば、
人助けして喜んでるなんて
結局自分のためじゃないかとか、
「余計なおせわ」であったり、
むやみやたらと親切であるのは
時に他人から疎まれたりする。
けど、人助けして喜べるなんて
すごくいいことじゃない、と思う。
助けてもらえた人は、もちろんありがたいし、
助けた側の人もうれしい。
これって、いま流行りの
ウィンウィンの関係なんじゃない。
そういう気持ちにならなければ、
ことばは「~をしてあげた」になってしまう。
相手に恩を着せてたりして。
だけど、あの時のアメリの気持ちと
実体験から想像すると、
ことばは、
「あなたを助けられてよかった」
とこうなる。
人を助けられてうれしいと思うことがある。
そこで困っていてくれてありがとう、と。
そいうことが自分がいる意義に思える。
*
これを人助け、に限らず、
仕事とよばれるものには少なからず
あるべきものなんだろうなと思う。
2017/03/26