五感不在だった生活
近頃は、何かと、ふと思うんだけど、
先週ふと思ったのは、
足って洗わないよなー、と。
足って意識して洗ってるんだろうか
みんなにアンケートしてみたい。
と、いうのもですね、
足を洗っていないっていうのは、
つまり、
日頃から、足がある、という意識が
ないことを示しているんじゃないか。
たとえば、目の見えない人と見える人の
足への意識力を比較したら、
見えている人はほとんど、足に注視して
いないのではないかと思う。
少なくとも自分がそう。
夕方のあまり人通りのない道を
目を閉じて歩いてみたら、
平坦だとおもっていたアスファルトなのに
微妙に歪んでいたり、段差があったりするのに
気が付く。
足の感覚にすがる、
それから、耳を澄まして空間感を
とらえようとしてみると、
いつもは空間把握を、目だけで
「代用」していたのだ
ということに気が付く。
耳も、足もおざなりにしていた。
ごめん。
*
街を歩いていても
ぼくは、割と人の目を気にしてしまう
タイプなので、
基本見られるのも、見られているかも
と思うだけでも嫌。
そんなぼくには、目ではなくて、
(目で見つつも)耳や、足で
主に空間をとらえようとすると
(架空の?)視線から解放されて楽になれる。
*
いったん話は変わるけれど、
VRがすごい。と言われて
しばらく経つけれど、未だに
体験したことがない。
ものすごく興味があるんだけど、
でも、よくよく考えてみると、
ぼくたちは常に3Dにいるんだよな?
と思う。
なのに、なんでVRがすごいの?
と冷静になると思う。
答えは簡単で、日頃から目で見る世界で
大体が済んでしまうから。
目で世界はあきらかに2D。
とある本を読むと、
目の見えない人は、頭の中に3Dの地図を
描いて、そのどこに自分がいるかを
とらえているそうな。
要するに視点がない。
視点があると、ただ坂道があるとしか
見えないところを、
目の見えない人は、
この坂道はこういう山のこの部分、
という認識を描こうとする。
だから、目で見ている2Dの世界に
慣れているぼくらには、
VRが物珍しく感じるのだと思う。
*
五月になって、今がいちばん、
緑色があざやかで、風も
音をたてて木を揺らしている。
それから小さい羽虫がどこからともなく
あらわれる。
目で見ても良いけれど、
半分目を閉じるようにして、
耳で空間をあじわおうとすると、
ちょっと感動する。
実は細部まで音が聞こえてきている。
無意識に目で見ていると、
その音は、ないことになっていた。
あー、立体の世界にいるなと思う。
目で見ている割合の幾分かを
かわりに足や耳に傾けてみる。
おかげで、ここ一週間、
足をしっかり洗っている。
足の話も聞くことにする。
2018/05/01