ハレのジャンボ
「素直なわがまま」という本に
宮崎駿の対談が掲載されている。
アニメーションに声を入れる時の
しゃべり方について書かれていた。
かいつまむとこんなかんじ。
*
アニメも芝居も、
過剰でないと伝わらない。
ふだんのままでいいです、と
指示するのだけど、結局はどこか
非日常の声なんだ。
自然に自然に、とは言うけれども
どこかでハレの声を要求している。
本当にふだんのままの声を出したら、
こわい感じになっちゃうんじゃないか。
…
*
ここで言われている「ハレ」というのは、
特別な出来事という意味での非日常のこと。
「晴れ舞台」のような。
それに対して「ケ」というのが、
日常でふだんの生活のこと。
ハレの感覚は、だんだんケの領域に
入ってこようとする気質がある気がする。
十分な証拠がつかめていないので、
曖昧なまま言ってしまうけれど、
「日常をハレに」という気分が
さいきん感じられる。
昼時の新宿一丁目を歩いていると、
サラリーマンたちが弁当屋などに並ぶ。
ジャンボおにぎり230円である。
ぜんぜん良い例じゃないけど、
このあたりに違和感を感じる。
「あなたを満腹にさせますよ」という
商売の中で生まれた名前だなと思う。
自然には、おにぎりを「ジャンボ」
という発想はないだろう、という。
モノを売るということだから
過剰にならざるを得ないのだろうが
もはやだれもつっこむ人がいない。
そこまでハレである必要はないのに、
ということが他にもきっとある。
一方で「ハレをケに」
という感覚もある。
これはツイッターとか。
逆さまにしたいという欲求が
あるんだろうか。
2012/10/10