ある教訓
顔立ちの整った友人がいる。
俳優でいうと、○○や○○に似ている、
などともてはやされ、
多数のイケメン有名人と共通の約数を
多分に保有している、いわば
ぼくら「モテない村民」の敵である。
とはいえ、彼とは十数年来の
付き合いなので、たまに会っては
夜のラーメン屋などでほそぼそと
語り合う。
豪遊が趣味の彼は、以前参加した
合コンについて事細かに
報告をし始めた。
*
そして、最後にこんなことを言う。
「かっこいいとかイケメンってさ、もう
言われてもしょうがないんだよな」
「なぜ」
答えようによっては、
お前の眼鏡をスープ(こってり/味濃い目)
に沈めてやろう、と
暗に思いながら聞いてみると、
「いや、イケメンって言われても、
なんにもならないんだよ。
それを言われたからって
世界や人生が一変するなんてことが
ないわけ。」
なら「イケメン」って言われるかわりに
お前はどうしてもらいたいのと聞くと、
「たとえば、お金をもらえるとか。
あと、イケメンって言われなくていいから、
そのかわりにその子とお近づきに
なれるとか、そういう具体的な
進展が欲しいわけ。」
こいつには天誅を下さねばと思って
奴のスマホをスープ地獄の刑に
かけようとしたが、
「ちょっと待ってそれは誤解。」
と止められた。
彼に言わせると、
そのためには、「役割り」を
自分から持とうとしなきゃいけない
ってことだという。
「だから、自分のイケメン的要素を
ちゃんとお金にしたいなら、
モデルという仕事に就くとか、
「お近づき」になりたいなら、
ホストになるとか、
自分の素質を活かすのなら、
そういう役割りを持つべきなんだって事。
今さらもう遅い話だけどね。」
*
うーん。
なるほど、そうかもしれない。
これは作品でも同じことが言えるな
と思う。
いくら、人から「いいね」とか「面白い」
って言われても、
お金にならなきゃ意味がないし、
誰かと一緒に何かを…という人の繋がりが
なければ、広がらないし、つまらない。
意外なところから、教訓を
得たような気持ちです。
2013/07/17