〜を愛される
面白いことが書いてある本を見つけた。
ちゃんと調べると、勘違いだった、
ということがあるかもしれないので、
あえてちゃんと調べないまま書いてみます。
四方田犬彦「心ときめかす」というエッセイ集。
この序文にあたる文章がとても良いんだけど、
そこに、イタリア語には「愛される」という
単語が他動詞として存在するのだと書いてある。
他動詞というのは、「誰々を〜する」という
〜に当てはまる動詞のことをいうもので、
自分が誰かに能動的な動きをするということ。
たとえば、
「花瓶が落ちて…」という言い方だと、
自分に責任はないようにとれる。
地震とか、なにかの拍子に落ちて、
という意味合いになる。
これが自動詞。
ところが、
「花瓶を落として…」というと、
自分に過失があるような言い方になる。
自分がやった、という能動的な働きを
させるのが他動詞。
*
イタリア語の話に戻るけど、
「愛される」という受動のことばが、
能動的な動作として語られている
ということになる。
そうすると、こんな文章になる。
「わたしはこの絵を愛されている。」
うーん、ちょっと分かりにくい。
「この絵はわたしによって愛された。」
と言い替えることもできるかもしれない。
それは「わたしはこの絵を愛している。」
という言い方とはちがう。
どこがちがうのか、というと、
主語がちがう。
前者では、「絵」に主語があるし、
後者は、「わたし」が主語になる。
「愛しているわたし」が上位に
きているような言い方よりも、
「愛されている絵」が上位にきている方が、
絵に取り込まれてしまったわたし、
という感を強く言いあてていると思う。
「たちまちのうちに魅惑の囚としてしまう
偶然にして魔術的ななにものか」(以上引用)
が感じられるのだと思う。
目の前のものが、
いきなり自分の前にあらわれて、僕は
あっというまにその囚にされている。
強烈なときめきを
感じた時にそういう言い方の方がいい。
2014/10/15