ことばの実験室 更新2019/7/15

どっかの人が

今年の6月の時点で、
日本の人口は1億2623万人…。

驚くなかれ、
明治時代に入る40年くらい前の
1846年には2,690万人 。
(所説あるらしいですが)

170年くらいで1億人も増えている。
お、おそろしい。
このところの数年は減少気味だけど。
にしても多い。

人が多ければ多いほど、
管理が大変。これだけ人が多いと
日本人の気質としてか、
モラルの監視をお互いにぴりぴり
したくなる。神経質に。

でも周りに人が少ないと、
もっと緩い気分があったのではないか。

ざっくりだけど、周りをみて、
10人いたら、8人は江戸時代には
「いない」ということになる。
人口密度的に。
外に出ても誰にも見られない、
なんて場所が至るところに
あったんじゃないか。

そんな幕末の江戸時代にでも、
入場制限がかかるくらい人が
集まるということがあったらしい。

今の新宿、昔は
内藤新宿といったようだけど、
正受院というお寺(今もある)に、
奪衣婆(だつえば)という像(今もある)
がある。

それが1849年嘉永2年に、
今でいうパワースポットとして
広く知られるようになったという。

もともと、咳止め、虫封じ、疫病除け
として伝えられていたが、
(それだけ医者が頼りなかったのか…)

流行のきっかけは、 奪衣婆が
泥棒を捕まえたとか、
火事を阻止したとか、そういう霊験が
噂されたことだそうな。

もともと三途の川にいるとされる
婆さんで、川を渡るお金を持たない人の
衣服を剥ぎ取るという仏教思想の
怖い存在。

というわけで、
願いが叶うと、お供えとして
綿(布)を頭に被せるのだそう。

江戸時代の都市伝説だ。
だが、ただの都市伝説で終わらない。
「願いが叶う」という
ディズニーランドな存在として
さらに人は集まり、
その様子が錦絵として遠方まで広まり、
バズるに至る。

寺社奉行によって参拝が
制限されるほどだったそうです。

ところで、たくさんの人々は
どんな願い事をしに来ていたんだろう。

さっきも書いた、病院に行くような
切実な思いで健康を願うことも
あったようだけど、
それ以外にもあったらしい。

江戸の判じ絵の資料にも、
この正受院の奪衣婆への願いが
判じ絵で描かれている。
解読すると、こうだ。

「私は、よい男で大人しい
金の有りそうな そして
気立ての良い亭主を持ちますように」

「私は百万石取りのお大名の
奥様になりますように願います」

「私は千両箱の二つ三つも
拾いますように。」

「私は顔が少し丸いから
もう少し目がぱっちりして
鼻が高くなりますように。
そして、歯元が尋常で
いい男になりますように」

なるほど…
なるほどね、恐ろしく冗談みたいだ。
ま、判じ絵の問題にされているくらいだから、
冗談なんだろうけど、
半分くらいは本当なんだろうなあ、
という気もする。皮肉として。

そして、しめくくりはこうだ。

「ぜひぜひぜひ おあてくださいますよお
おねがい申します。
あたればおれいに 綿を一束あげます。
どっかの人が。」

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