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身体の中のもうひとつの自分

高校生の頃は陸上部で。
練習が嫌いだった。大会はもっと嫌だった。

疲れるし、ドキドキするし、
ぞわぞわ~っといやーな気分が
底から湧いてくるかんじ。

いま思えば、じゃあなんで陸上部だったんだ
と思うんだけど、
中学校からの惰性だったのかもしれない。

小学校の頃は鬼ごっこが好きで
走るのも好きだったから、
マラソン大会でも好成績を残していて。
それで中学校に入ったら陸上部に行こう、
と決めていた。

ところが、部活の見学に行ったら
ことのほか練習がきつそうで、
もっとも楽そうなフィールド競技
(走り幅跳びとか、高跳びとか、砲丸投げとか)
に種目を決めたのだった。

けれど、身体的には長距離が向いているので、
大した成績も残せず。

といってやりたいこともなかったので、
そのまま惰性で高校も陸上部へ。

周りからの熱い勧めによって、
長距離へ転向するも、やはり練習がきつかった。

成績はまあまあ伸びたんだけど、
嫌な気持ちに鞭うって
練習で本当に泣きながら山の急坂を
全力ダッシュしたりしていた。

もうこれ以上はやめてくれ、と
心も体も感じたのか、
その次の日に全身湿疹が出て、
病院に行ったら自律神経失調症と
言われて。

それが「自律神経」という存在を
はじめて知ったときでした。

自分では大丈夫って思っているのに。

自分なのに、自分じゃないなにかが
身体の中で生きているのか、と。

自律神経が整う基本は
朝の光をあびるのと、ご飯をよく噛んでたべる、
適度に汗をかき、ゆっくり休む、
好きだなと感じることをして
夜になったら寝る。
というごく当たり前のこと。

自然だなあ、とか、
違和感がないよな、
ということ
朝が来たら目が覚めて、
夜になると眠るということなんか、
自然に極みで、

そういう自然の動きのリズムみたいな
ものが、自分の体のなかに棲んでいる。

身体の底からぞわっと嫌だと感じる
あの感じは、もうひとつの自分からの
語りかけだったのか?

知識として知ってはいても、
感じるのはむずかしい。
ともに歩むのはなおさら。

自分のなかにいるもうひとつの自分の
働きに気がつくことを
大切にしたいと感じている最近。

次につくりたい絵本「ねむる」も
そんなテーマ。
このあたりをもっと探っていこう。

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