誰のためでもないスリッパ
「ノースウッズの森で」
大竹英洋(福音館書店)という
写真の絵本を眺めていたときのこと。
当時ミネソタ州に住む30歳の
写真家である著者が、
北アメリカの湖水地方(ほとんどカナダ)
を旅というか取材したときの絵本。
Googleマップでみても分かるけど
ノースウッズの地方だけでも、
日本の面積が全部入っちゃうんじゃないか
くらいの広大な森林と湖。
ひとけのない場所がたくさん。
そこでは人じゃない生物たちが主役。
森を散策しながら
ライチョウや、子ジカ、ムースなどの
生き物に出会い、森に満ちている気配を
感じる。
*
そのひとつに
ランの群落に出会うシーンがあります。
ランというと
高級な花のイメージ。
森で出会ったランも、
「きらびやかな貴婦人のスリッパ」
と言われるほど、珍しい形でうつくしい。
このページで、
うわっと思ったのが、この文章。
「一年に一度、それも7月の
たった7日ぐらいのあいだだけ、
この古い巨木におおわれた森のなかで、
この花は人知れず咲いているのです。」
*
「人知れず咲いているのです」って
読んで、一瞬でも、
「え、人に見られないのに、
なんでそんなにきれいに咲かせる
意味があるの?」
と思ってしまった自分がいたことに
うわっ、と。
たとえると、
山にこもる仙人みたいな陶芸家が、
売ったらひとつ1億円くらいの
値が付くようなツボを、
人知れず作っては、わり、作ってはわる。
という非常にもったいないことを
しているんじゃないか、
というのを知ったのと似た気分。
*
だいぶ人間中心で、
マネタイズ的な考えに
毒されてしまったな、と。
太陽が、人間のために照っている
わけじゃないように、
鳥が人を癒すために鳴いているんじゃ
ないように、
だれかが、だれかのためにしている、
なんていうことは、
自然界にはほとんどないんじゃないか。
自然界の中のもちつもたれつは
結果としてそう見える場合であっても、
たまたま適応しているだけ、
という気がする。
人のために尽くそうとか、
そういうことではなくて、
自然とこうなったんで、
自分でしたいからしているんで、
べつに、人に見られているとか、
人のためにとか、そういうの
考えたことないんで、
自分、不器用なんで、みたいな。
とてもクールなんだろうな。
そういうところ、
人間もちょっとは見直した方が
いいのかもなと思ってます。
2021/06/02