捧げる才能
飲み屋のキャッチの人を見ると、
あれはすごいと思う。
みんながみんなうまい。
「うまい」っていうのも変だけど、
僕がやると、たぶん下手な「演技」に
なってしまう(にもならないか…)けど
彼らは演技を飛び越えて、なりきり。
すごい。
なんというか、まごまごしてないし、
どもらないし、肩の力がほどよく抜けて、
自然なふるまいなのだ。
呼び込みのときの決まり文句も、
歌舞伎の決め台詞やかけ声のように
キマっている(大袈裟か)。
まあ、当然といえば当然だけど、
自分に置き換えると、絶望的に違和感が
ありすぎて、絶対できない。
がんばって声を出しても「もご」しか
出ず、そこで誰にも聞いてもらえずに
ふいっとされると「もにょもにょ…」と
自分でもなにを言っているか分からない
危機的状況に追い込まれるので、
その分「できる」人が輝いて見えてしまう。
*
仮面ライダーのショッカーたちも、
あれ、すごいでしょう。
忠実にシモベをやりきっている。
誰ひとり、違和感を持ってやってない。
という感じが伝わってくる。
もし、「オレ、向いてないかも」
というショッカーがいたなら、
あんなにテンション高く奇声を発して
戦ったりしないでしょう。
ショッカーしかり、飲み屋のキャッチも、
コンビニなんかの店員見てもそうだけど、
あの「捧げてる」感、見上げてしまう。
言い替えると、環境対応力というか、
集団に馴染む能力というか。
ぼくには無い。
自意識の方が強くて、
「い、い、いらっしゃいませー」
みたいな、これほんとに自分が言うの?
って思って声が震えてしまう気がする。
しばらく家にこもって、
「描く/考える」に没頭していると
周囲への適応力の衰えを
如実に感じて、恐ろしくなる。
2015/02/06