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感覚からの説得力

説得力を持つことや、
通用する、ということは、
いったいどういう事なのだろう。
 
表現手段が「言葉」であり
そのうえ論理的なものでないとしたら、
どこに、通用するための仕組みが
あるんでしょうか。
 
じぶんで書いた575を、
例として取り上げてみます。
 

 
 
  ほっぺたも牛乳瓶も雪景色
 
 
これを「意味側」から捉えようとすると、
不可解なものとしか思えない。
 
けれど僕自身、この文字の連なりが
なんとなく気持ちよく見えている。
 
言葉を論理として見てしまう
先入観を解き放つことができれば、
一般的な立場からみても、十分に
通用する表現だと思っています。
 
それはなぜか。
 

 
一つの単語からは、幾つかの
連想が浮かんでくる。
 
牛乳=白い、甘い
雪景色=白い、冷たい、
ほっぺた=ほっぺたがとろける
    (という慣用表現)=おいしい
 
大雑把に言うとこんな具合。
 
それらには共通項があり、
また連想の限定がある。
 
牛乳=白くて冷たい=雪景色
 
単に「牛乳」というだけでは、
「つめたさ」は感じられない。
「白い」という共通項で雪景色を
となりに並べることで、同時に
「つめたい」という凛とした属性を
全体にまとうことができる。
 
ほっぺた=おいしい=甘い=牛乳
では、「ほっぺた」が「牛乳」に対し
形容的な役割りを持つことになる。
また「雪景色」と「ほっぺた」によって、
寒さで紅潮した頬を連想することもあり、
熟した果物のような赤さ=甘さ、
にも連結する。
それぞれの組み合わせによる連想が
パズルのように共通項によって
必然的なパターンとして認識される。
 
単語のスキーマ
(単語に対する一般的なイメージ)が
化学反応のように様々な形に変化し、
感覚的に拡張していく。
 
意味として、ではなく、
感覚として説得力をもつこと、
 
575を書きながら、
最近ではこんなことを
意識し始めています。
 

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