感じちゃう無意味
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↑こういうふうに、・(点)を
3つ打つと、人の顔に見える。
いや、人の顔以外でも、
その人が何かに「そう」見えたら、
「そう」見える。
木目や、壁紙のランダムな模様にも、
空にうかぶ雲にも、
缶ジュースのプルタブにも、
はたまた心霊写真にも、
なんでもないものが、なにかに見える、
ということがある。
人の認知や、記号論などを研究している
池上嘉彦の「記号論への招待」(岩波新書)
では、
「人間は、自分のまわりの事物に対して
意味付けをしないではいられない存在である。
しかもその際の意味づけは、
すべて人間である自らとの関連で行われる。」
と、書いてある。
本来まったく関係のないことでも、
意味ありげに読み取ってしまう、
っていうは、面白い。
個人的な体験でも、そんなことがある。
ジンクスなんかがそう。
「ちょうちょが前を横切ったら、
幸せの前兆」なんてことも、
思ったから、本当になるのであって、
本来そんなはずはない。
*
ことばって、気持ちや、考えを伝えるための
手段として使っているけど、
ことばあそびは、ことばを手段ではなくて、
それ自体を見つめるナンセンスな行為。
しかして、上記したように、
無意味なはずのものが、図らずも
気持ちとして伝わってしまうことがある。
それが面白い。
たとえば、これ(光のメッセージカード)とか。
ぼく自身は、遊んでいる感覚なのだけど、
人によっては、感じ入ってくださる。
その感動はぼくが作ったのではなくて、
あなたご自身のものなんですよ。
と言ってあげたい。
ぼくが興味をもつものの中の一つとして、
文字やことばを、意味や感情から、
切り離して、モノとして考える。
ということがある。
これが、要するにことばあそびの
要件の一つなんだけど。
でも、一方で、
ただの石ころをころがして、
その転がった様をみて、
意味にとらえたくなる占いのごとく、
ことばも、なにかしらの、
気持ちとして読まれてしまう。
何度も言うけど、
そこがおもしろいところ。
*
「気持ちを伝える手段」ではないやり方で、
ことばをこねくり回しているのに、
どこかで、
心理的作用、占い作用など、
感情に訴えるような表現と表裏一体に
思えてくる。
たとえば、
「ありがとう!」と口にすると、
幸せに向かう。とか。
「心配は、過去と未来にしかない。
いまの時間を大事に使うこと」
とか、
そういう自己啓発的な作用も
ことばってもっている。
「ありがとう」「いまでしょ」みたいに
思ってもみないことばでも、
思ったら、本当になる、という
効果について、
怪しいという想いもありながら、
絶対に見過ごせない気分もある。
*
まとめ。
ことばあそびは、
ふつう、ことばを音や、字面、
意味を切り離した文字単体を
バラバラにして、それを
パズルのように組み合わせてみる
おもしろさ。というイメージ。
だけど、ぼくは、
パズルのように扱うことばが、
人の気持ちや心理に作用する、
という副作用もある。と
昔からよく思うし、実感もする。
ことばあそびが、意図せず感情表現になる、
というのは、
ヘンな気もするけど、
そういう表現が成立するはずだよなあ。
と思うこの頃。
2019/06/04