怖さと集中は似ている
2年前、京都で個展をやったとき、
2、3日は気合いを入れて
展示会場にはりついていたけど、
せっかくだからと、お寺や旧家などを
まわる日をもうけた。
そういうところに行くと、
気持ちがぴりっとする。
普段からだらだらしている自分でも、
背筋が伸びて、なにか冷たいような
凛とした気分になる。
昔の武家の人やお寺の人たちって、
どういう気分で日々を過ごしていたのか
と想像すると、なんとなくこちらにも
緊張感が伝わってくる気がするのである。
集中力がわいてくるような。
これってなにかに似ているなあ、と
思っていた。
何かの気分とよく似ている。
それが分かった。
怖い話を聞いている時の気分と
少し似ているのだった。
*
トラウマになるくらいの恐い話ではなくて
ちょっと恐い話くらい。
恐い話のBGMとして、お寺の鐘の音や、
ちりーんという音。
鈴虫の鳴声、そして静寂。
これがぴたっと合うでしょう。
ああいう「怖い話」という超常現象に
気持ちをシフトさせるのは、
浮き世から解脱するような、
心がしんとして、なにか畏敬の念を
抱くような心持ちになる。
*
何が言いたいかというと、
作業中に怖い話を流すと非常に効率を
図れるということ。
3時間くらい机の前にはりついていたって
気にもならない。
トイレにも(恐いから)行かなくても
いいくらい。
怖い話が苦手だと言う人も大丈夫。
そのうち慣れてくるから。
たいてい代表的な登場人物は、
髪の長い女で、白い服なんだ。
恐さというものがアイコン化されている
ことに気がつく。
そして、恐い話であればあるほど、
巧妙に筋が通って(演出されて)いることが
多いし、
リアリティがあればあるほど、逆に
恐いというより単に「不思議な話」なのだ。
要するに、「怖い」には
仕組みがあることが、なんとなく
分かってくる。
怖い話から静寂さと凛とした気分だけを
捉えることができるようになる。
ぜひ、やってみてください。
2015/02/18