弱く、かつ、てきとうに
東浩紀の「弱いつながり」(幻冬社)を
読んでいます。
これがとても面白い。
東浩紀のことをかなり大雑把に紹介すると、
なんだろうな、ニコ生とかによく出てくる
思想家というのか。
分かり易く書いてあって、
特別な知識をもたない僕でも読める。
ここでは、弱いつながりこそが、
自分を変える力を持っているのだという。
*
amazonもyoutubeもそうだけど、
グーグルって日頃から自分が何を検索して
どんなページを見ているかで、
「お勧めのページ」が出やすくなったり、
関心があるものが多く出るようになる。
膨大な情報から選り好みしたものだけが
得られると思えばいいのかもしれないけど、
逆にネット内世界がグーグルによって狭まり、
コントロールされている、ともいえる。
自分というものが、予測可能なもの、
つまりその他大勢の傾向と同じ存在感として
流されているのでは。
唯一の自分のオリジナルだと思っていたものが、
じつはコントロールされていた、
なんてSFみたいなことが起きつつある。
それは何もグーグルだけではなくて。
家族や親しい友人や職場(いわゆる強いつながり)
の人が、あなたはこういう人だから、
こうでしょう、というふうにして、
知らずにキャラ形成してしまう「しがらみ」が
あるとも言える。
*
『弱いつながり』の本にもあるけれど、
職を変える時の例をみるとわかりやすい。
強いつながりの人に転職の相談すると、
いままでの自分を考慮に入れた上で、
予測可能なアドバイスをもらうことが
多いものだと思う。
でも、たまたま行ったパーティで
初対面(弱いつながり)の人と、1時間くらい
話したところで相談してみると、
「君はあそこが合いそうだから紹介したげる」
とか言って、無責任や勘違いもふくめて、
今までになかった可能性を得ることが
できたりする。
実際の統計でも、後者の方に従って
転職した方が満足度が高いそうな。
*
話をもとに戻すけど、検索ワードも同じこと。
グーグルから提案されたところを
いつまでもぐるぐる回るよりも、
そのしがらみから解き放たれたい!
あたらしい面白さを見つけたいと思うなら、
環境を変えることだと、東はいう。
それも適当でいいのだ!という。
ああそうか、とぼくは思う。
ぼくにとって適当なつもりで環境を
変えることは、この作文を通して
できるかもしれないと思いました。
この作文を書くのに、なにか今後に
繋がる一貫したテーマを、と思っていて、
思うように時間を作れず書けずにいたけど、
「そうか、適当でいいのか。」と。
むしろテーマとは無関係な、出会い頭の
(弱いつながりとしての)面白さを、
短くても、文章としてだめだめでも
ここに常に書くことが大事だなと。
そういうわけで、「てきとうな作文」と
名目改め、また書こうと思います。
絵も描けたらたまに載せます。
2014/10/05