ことばのロボットいろはちゃん 更新2020/8/5

希望をもって、いいんだった。

読んだ小説って基本的に
読んだ先から忘れてしまうのですが、
ときどき、
思い出せることがあるんです。

「心地よさ」について考えているとき、
頭をよぎったのがスタインベックの
「朝めし」という短編。

スタインベック短編集』(新潮文庫)
にある、たった5ページくらいの一篇。

あっというまに読める、
ちょっと長めの手紙みたいな短編です。

読みながら、
「久しぶりに希望に満ちたのを読んだ…」
と、なぜかちょっと罪悪感をすら
感じるほどの爽快感がありました。

後ろ向きな表現がひとつもない。

近頃のコロナの雰囲気にのまれると、
「日々後ろ向き」という前提があって、
そこから歩いて行こう、という発想に
なりがちだけど。

でも、「朝めし」を読むと、
あ、いいのか!って、
このかんじ、忘れてた!と。

まるで気分のいい音楽が
流れだして、しぜんと心が軽快に
足取りがかろやかになれてしまうみたいに。

出だしはこう始まります。

「こうしたことが、私を、楽しさで
いっぱいにしてくれるのである。
どういうわけか、ちいさなこまごまとした
ことまでが目の前にうかびあがってくる。
…中略…
不思議なほど心のあたたまる楽しさが
わきあがってくるのだ。」

夜が明けようとしている谷間。
身がしみる寒空に夜明けの色が
彩られ始めた頃。

「私」は、テントをみつける。

テントの外には、若い女性が。
服の中に赤ん坊を抱いて、母乳を与えながら
朝食の用意をしている。
野営のかまどからは、寒々した空気を裂くように
オレンジ色の炎があざやかにふき出る。

テントの中から、
その夫と、夫の父親らしきふたりが
顔を洗ったしずくをひからせながら
あらわれる。

ここに描かれている全てが、
ひかっていて、これからはじまる期待に
一糸たがわず「前向」きなんです。

夫とその父は、
新しいダンガリーの服を身につけている。
綿つみの仕事をしていて、
いいお金になっているんだろう様子が
伺える。

朝食も、あぶらをしたたせ、かりかり
に焼いたぶ厚いベーコンに、
いい匂いの焼き立てのパン。
それに苦くて、熱いコーヒー。

通りすがりの「私」にも、
食事に加わるように家族たちは
すすめてくれる。

…この家族がいい人たちだ、
というだけではなく、
景気の良さ、ということなんだと思う。

同じ彼らでも、
もし仕事にありつけていなかったら、
もし、赤ん坊がいなかったら、
こうも気前が良かっただろうか?

赤ん坊が豊富な母乳を
吸っている音、
そしてちょうど東を向いた男2人の目に
「私」の背にのぼる赤い太陽が、
うつって、輝いている。

「綿つみの仕事がしたいなら、
紹介できるよ」

とまで、私に施しをしてくれる。
この気前の良さは、いま、この瞬間のもの。

描写がうつくしい、食べ物がおいしそう、
というだけではない、
登場人物のだれもが、
「生きていこう」という魔法にかかったような
完璧さがあるんです。

昔読んだときと、
今読んだときと、また違う読後感。

希望をもって、いいんだった。
と、思わせてくれました。

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