好きなパラドックス
狭い歩道で、
小さな子が親の手から離れたとき、
「ほら、ほかのひとの邪魔だよ」
と言う親の方が道をふさいでいたり、
「貼り紙禁止」と書いた
貼り紙が貼ってあったり、
「今からぼくの言う事は
全部嘘なのですが…」という前置きで
話を始める人など
矛盾というものが、
日常にもときどき顔を出すのが
おもしろいなと思います。
*
パラドックスというと、
「ラッセルのパラドックス」というのが
ありまして。
数学的な用語でいうと
集合論というらしいのですが…
以下、噛みくだいて書きます。
*
この世には、集合という考え方があります。
自分は、日本人であるとか、
男である、とか、
血液型はB型であるとか、
やぎ座だとか、
自分にあてはまる項目ってありますよね。
調べると、いま日本の男という項目に
当てはまる人は6,537,442人いるらしい。
その集合の中の一人に
自分はあてはまっているのですが…
こういうのが集合っていう考えです。
それをラッセルはこんなふうに発展させます。
「自分の属していない集合」という項目に
自分は含まれる?含まれない?
一瞬、ん?ってなる質問です。
まず思いつくのは、
自分が属していないのだから、
含まない、でしょ、と。
けれど、逆に考えてみると
例えば、「女」「A型」「おとめ座」
という集合には、
自分は属していないんだけど、
あれっと思う。
「自分は属していない」ということ自体を
項目にあげるとするなら、
いくつもある「自分の属していない集合」の中の
「自分は属していない」という項目に
自分が含まれるのでは…?
*
だんだん、何を言ってるのか、
分からなくなるのですが、
もうちょっと違う例を挙げてみます。
・西村という人間がいます。
・西村には属性があります。
・たとえば「男」「B型」「やぎ座」…など
・その属性の合計数が「10個」だとします。
・では、この「10」という数に「西村数」
という名前をつけよう。
・その瞬間に
西村は「10という数は西村数」という属性に
新たに属すこととなり、
西村数は「11」ということになる。
10だって言ってるのに、
それ自体を含めると11になるという矛盾。
*
こういうことが、
以前書いた補集合の話とも
つながるのでは、と思いまして。
この世界のぜんぶは、
「人間が知覚できるものの集合」と、
「それ以外の集合」でできていて、
目にはみえないけどそこにある
「それ以外の集合」
(=科学の観点でみえる世界)
と自分たちとは、
じつは、つながって生きている。
…と考えているのですが。
でも、科学という助けを借りれば、
直接はみえなくても
間接的に確認ができたりする。
それができるんだったら、
「それ以外の世界」も、
結局はぜんぶ脳の中のできごととして
収まっているのでは?
…という、矛盾を
養老孟司「唯脳論」を
読みながらおもしろがっています。
2021/07/19