ことばのロボットいろはちゃん 更新2020/8/5

前と後ろが逆なだけ

本屋で物色しているとき、
「この本のここらへんのページだけ
興味があってじっくり読みたいんだけど
その他のページにはあまり関心がない」
ということがあって、
結局買わずに家に帰ってしまった。

その後、どうしてもその本が気になり
図書館の蔵書検索をすると、
少し離れた分館に蔵書があった!

早速借りて、図書館と、
その本の存在を教えてくれた本屋さんに
感謝の意を込め、少し上を見上げ、
目を閉じたあと、
自転車に乗って帰宅した。

その本とは、
「朝永振一郎 見える光、見えない光」
(平凡社)
読みたかった箇所以外でも、
面白い話題があった。

それは「鏡が左右に反転するのに、
なぜ上下に反転しないのか」
という話。

個人的に、この問題には、
なじみがあって、そういえば、って
思い出して、本棚から数冊を並べてみた。

さかさまさかさ」(たくさんのふしぎ)

科学考えもしなかった
41のそぼくな疑問
」(講談社ブルーバックス)

ファインマンさんは超天才」(岩波現代文庫)

これには、どれも、
「鏡は左右反転するのに、
なぜ上下には反転しないのか」問題が
言及されている。

「さかさまさかさ」では、
こんな答え。
「鏡のなかのきみとほんもののきみとは
向きがちょうどさかさまになります。
だから、きみから見た左右と、鏡の中のきみから
見た左右は、さかさまになるのです。
上下は、誰が見てもかわらないから、
鏡にうつしてもかわりません。」

よーく吟味すると、なるほど、と思うけど、
なんかはぐらかされたような気もするな。

「科学考えもしなかった
41のそぼくな疑問」では、
「左右が本当に逆になっているのでしょうか。
~中略~
左手は、向かって左の方に、
右手は右の方に正しく映っているのです。
ですから本当は、何も不思議なことは
起きていないのです。
それなのに私たちは「鏡は左右逆」と
感じてしまいます。」

そもそも、鏡の中の自分は、
現実の自分と同じ実体が
向かい合っているのではない、と。
右手には、右手が映っているじゃないかと。
そうか、左右反転っていうのは、
思い込みなのか…?
ピンと来そうで、来ない。

「朝永振一郎 見える光、見えない光」
では、さまざまな怪しい仮説を
たくさん記載したまとめとして、
「右と左とが逆になっているとか、
上と下とが逆になっているとか、
あるいは前とうしろとが逆になっているとか
そういう判断は、鏡のうしろに
実さいにまわって立った自分の姿を
想定して、それとの比較の上での
話であろう。
~中略~
鏡というものは自分の前すがたを見る
目的で作られたものだから、
鏡の向こうがわでは当然自分は
こちらを向いているものだとの
前提が暗黙の裡に認められていることも
あるのだろう。」

こちらもぱっとしない回答だけど、
鏡に映った姿は、虚像であって、
向かい合った実際の自分ではない、
反転しているように「感じる」のは
心理的なものだということか。

「ファインマンさんは超天才」では、
僕はこの問題はあっさり解いたよ。
というハードル上げる一文から始まる。

「「東」側の手は、「東」側にあり、
「西」側の手は、「西」側。
上の頭は上、下にあった足は下で、
すべてはちゃんとしている。

ただ、一つだけ不都合なことは、
もし君が「北」に向いているとすると、
君の鼻は頭から北向きに突き出ている
ことになるが、
鏡の中の像では鼻は頭から「南」向きに
突き出している。
ここで何が起こったかと言うと、
鏡の像は右も左も上下も
ごっちゃにしたわけではなく、
前と後ろが逆になっただけの
ことなんだ。」

これは明快!
ぼくたちって、右手を上げると、
鏡の中のぼくは左手を上げる。
と思ってしまうけど、
本当は、右手を上げると、
鏡には僕の右手がそのまま上がる。

左右も、上下も反転していない。
前と後ろが逆になっている。
「実際には鏡の面にそって
対照的に入れ替わっている」
だけなんです。

ぼくは右手首にほくろがあって、
左手首にはほくろがないんだけど、

右手を上げると、
鏡の中の自分も「ほくろ」のある
右手を上げる。

それと同じように、
頭はもとどおり上にあるし、
足も同じく下にある。

そもそも、「左右反転している」
という事実がないのです。

「前と後ろが逆」なだけ。

もし、みなさんが、このような問題に
今後出くわす事があったら、
このことを覚えておくといいかもしれません。

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