Instagramにてライフワークであるイラストを公開中.

フェチは観察にあらず

フェチは人それぞれあるはずで、
ぼくにもある。

人に言えるのと、言えないのと
そのぎりぎりのラインのところを
カミングアウトすると
女の人の髪の生え方の流れを
見つめるのが好き。

この人は、前髪を耳にかけていて
頭頂部からは
すとんとおろしているなとか。

ものすごくきれいなボブの後姿を
見るとアダムスファミリーに出てくる
妖怪みたいだなと思ったり、

こめかみの辺りから髪をあつめて
ひっぱり、編み込みを作っているのか、
とか。

特に複雑な編み込みであれば、
ほどけないイヤホンコードに
出くわしたかのようなもどかしさ、

そして数学の解けない問題に
出くわしたかのような
くやしい気持ちで眺める、とか。

…いや、正確に言えば、
そんな分析もしていない。
とにかく、その辺りに熱いまなざしをおくり、
わくわくすることがあります。

(「ことがあります」というのは、
かならずしもそう思うわけじゃなくて、
時々ですので、あしからず。)

しかし、ここからが問題なんだけど、
あれだけ、好きで見ているのに、
いざ、描いてみろと言われると
描けない。

あの、ときめきを
表現するすべを知らないことに
気が付く。

ん?
…ということは、
ぼくはいったいなにを見ていたんだ?
ということになる。

そもそも、
日々なにかを見ているようで、
実は覚えていない、ということが
ほとんどなんだよなあ。

たとえば、歩行者信号のボタンが
どのような方法で、
電柱に設置されているか、
自分の家の玄関のノブの形は
どんなものだったか?

フェチで見ているものすら
おぼえていないのだから
こんなものも覚えているはずがない。

つまり「そのもの」じゃなくて
高揚感を見ているんだなと思った。

昔、マウスを使ったテストで、
あるスイッチを押すと、
脳内に快感をうながす電気信号を
流すという実験があって、
結果的に、
ご飯も食べずに、延々と
スイッチを押し続けるマウス…
という怖い記事を読んだことがある。

まさにそれだと思う。

フェチなものを見ている時は、
スイッチ(引き金)の形状や大きさなんて
どうもよくて、
それをきっかけにして、
脳内の高揚感を促す物質を
分泌をさせることが目的だと。

そういうことって、
個人的に感じ入ることはあっても
なかなか表現に落とし込めない。

実質的に虚空をみて、
快感をひたっているのと
同じだと思う。

見方を変えよう、と思う。

ただ、見ていて快感だから、
じゃなくて、
ちゃんと観察しよう。

 

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