ふせん学概論Ⅰ
「軽くトーストして
全部食べてください」
ぼくの雑記帳には、
こんなふせんがはりつけてあります。
*
これは、実際に今朝
キッチンにあったもの。
5月から同居人がとんでもなく
早い時間に仕事に行くようになり、
自分の朝食を準備したついでに
ぼくの分まで用意してくれていて
とてもありがたい。
食パンが1枚半残った袋と、
ジャムとスプーンと空のカップ、
そして、付箋。
察するに
「食パンはちょっと固くなってるけど
軽くトーストすれば、まだいける」
「1枚半あるけど、
中途半端にのこされると困るので
全部たべて」
「ジャムを使うといい、そして
コーヒーくらいは自分でいれよ」
と、いった内容が読み取れます。
*
ふせんのおもしろいところって、
それがどこに貼られるか、
誰がいつ読むか、ということによって
書かれた文字に、どんな意味が
そなわってくるかが決まるんですよね。
おもしろいな、と思って、
このふせんをペッとはがして、
雑記帳に貼り付けてみたんだけど、
きっと一年くらいしたら
(忘れっぽいぼくは)このふせんについての
記憶もなくなるので、
意味の効力は失われてしまう。
書かれた文字通りの意味以上でも以下でも
なくなる。字義通りでしか手がかりが
なくなってしまう。
ふせんの冬眠状態とでもいおうか。
*
けれど、これをまた
どこかに貼れば、
ひとたび息をふきかえします。
もしも「軽くトーストして
全部食べてください」のふせんが、
からっぽのお皿に貼ってあったら、
「さては、誰かがもう食べたあとかな」
と思うかもしれないし、
図書館で借りた本に貼ってあれば
なにかの悪い冗談か、
もしくは、ものすごくポエティックな
意味として、捉えるかもしれない。
あるいは、なにかの手違いで
豆腐のパックの上に貼ってあったら、
チーズやマヨネーズやごま油をかけて
オーブンで豆腐をトーストしているところ
だったかもしれない。
いや、それはそれで
おいしいかもしれないけど。
*
そこで、
書くって、どういうことだろう?
という素朴な疑問が湧いてきます。
書く、というからには、
書く場所があります。
ノートなのか、スマホなのか、
コピー用紙なのか、メールなのか。
そこには、目的と、相手がいます。
たとえば日記なら、相手は自分自身かも
しれないし。
学校の先生に見せるための作文かも
しれないし。
つまり、「書く」ということは、
「書かれる場所」と「読む相手」が
セットになっていて、
それによって意味が生じる。
それがとても重要なことだ
という発見が、
今朝のふせんには隠されていました。
*
書いて人に伝える、伝わるっていうことが
どんなからくりなのか、
そして、そのからくりを逆手にとったら
どんないたずらができるのか、
いろいろ考えてみたくなります。
付箋と、それを貼る場所の関係性は、
俳句でいう「言葉のとりあわせ」のような
関係に似ているのかも、とワクワクします。
2021/06/06