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ふせん学概論Ⅰ

「軽くトーストして
全部食べてください」

ぼくの雑記帳には、
こんなふせんがはりつけてあります。

これは、実際に今朝
キッチンにあったもの。

5月から同居人がとんでもなく
早い時間に仕事に行くようになり、
自分の朝食を準備したついでに
ぼくの分まで用意してくれていて
とてもありがたい。

食パンが1枚半残った袋と、
ジャムとスプーンと空のカップ、
そして、付箋。

察するに
「食パンはちょっと固くなってるけど
軽くトーストすれば、まだいける」
「1枚半あるけど、
中途半端にのこされると困るので
全部たべて」
「ジャムを使うといい、そして
コーヒーくらいは自分でいれよ」

と、いった内容が読み取れます。

ふせんのおもしろいところって、
それがどこに貼られるか、
誰がいつ読むか、ということによって
書かれた文字に、どんな意味が
そなわってくるかが決まるんですよね。

おもしろいな、と思って、
このふせんをペッとはがして、
雑記帳に貼り付けてみたんだけど、
きっと一年くらいしたら
(忘れっぽいぼくは)このふせんについての
記憶もなくなるので、
意味の効力は失われてしまう。

書かれた文字通りの意味以上でも以下でも
なくなる。字義通りでしか手がかりが
なくなってしまう。

ふせんの冬眠状態とでもいおうか。

けれど、これをまた
どこかに貼れば、
ひとたび息をふきかえします。

もしも「軽くトーストして
全部食べてください」のふせんが、

からっぽのお皿に貼ってあったら、
「さては、誰かがもう食べたあとかな」
と思うかもしれないし、

図書館で借りた本に貼ってあれば
なにかの悪い冗談か、
もしくは、ものすごくポエティックな
意味として、捉えるかもしれない。

あるいは、なにかの手違いで
豆腐のパックの上に貼ってあったら、
チーズやマヨネーズやごま油をかけて
オーブンで豆腐をトーストしているところ
だったかもしれない。
いや、それはそれで
おいしいかもしれないけど。

そこで、
書くって、どういうことだろう?
という素朴な疑問が湧いてきます。

書く、というからには、
書く場所があります。

ノートなのか、スマホなのか、
コピー用紙なのか、メールなのか。

そこには、目的と、相手がいます。

たとえば日記なら、相手は自分自身かも
しれないし。
学校の先生に見せるための作文かも
しれないし。

つまり、「書く」ということは、
「書かれる場所」と「読む相手」が
セットになっていて、
それによって意味が生じる。

それがとても重要なことだ
という発見が、
今朝のふせんには隠されていました。

書いて人に伝える、伝わるっていうことが
どんなからくりなのか、
そして、そのからくりを逆手にとったら
どんないたずらができるのか、
いろいろ考えてみたくなります。

付箋と、それを貼る場所の関係性は、
俳句でいう「言葉のとりあわせ」のような
関係に似ているのかも、とワクワクします。

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