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「失われた可能性」

原動力ってなんだ、とか
じぶんの趣向は何が基準に
なっているのか、とか
そういう疑問に対して端的に答えと、
「失われた可能性への憧れ」である
と宮崎駿が書いていたのを読んだことがある。
 
「失われた可能性」ってなんだろうと
思って読み進めると、
こんなことが書いてあった。
 
「人間は生まれ落ちた時に”可能性”を
失っているのである。過去と未来に
人間の歴史がある中で、
一九七八年に生まれた瞬間、あらゆる
時代に生まれてくる可能性をその人は
失ってしまったわけだ。」
 

 
ああそうなんだな、と思う。
いまここにいる以上、たとえば
中世ヨーロッパの
田舎暮らしはできやしない、とか
江戸時代の日本色の濃い華やかな文化には
直接触れることができないんだ、とか
映画に出てくるような数奇な人生を
送ることは出来ない、とか、
じぶんがじぶんである限り、
膨大に「失っている可能性」がある。
 
(もっともそれは、
おいしいところばかりを
見つめている視点なのだけど。)
 
本やマンガや映画などを見て
そこにある世界に憧れを持って、
すこしでも真似ごとをしようとしても
むずかしい。
 
そうは問屋がおろさない、
とでも言うように
周囲からの抑圧がのしかかっているし、
そのうえ自身の体のだるさ、
体内を流れるなまけものの遺伝子が
蔓延していることもあって
これまでの自分から抜けだす為の
身動きというのはなかなかとれない。
 
どうしたらその抑制を打ち破り、
怠惰を凌駕するほどの気持ちを
奮い立たせて、
じぶんを解き放つことができるのか。
 

 
これの代用品として、
映画をみたり、
本やマンガを読んだりして、
それに自分を近づけようとする。
 
なんというか、現在のじぶんに対する
ボイコットみたいなものか。
 
僕はいつも、
じぶんではないものや、
じぶんのいる所ではない所に
理想をもってしまいます。
 

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