本を読みたくなる理由
本を読んでいたい、という気持ちが
ときたま湧いてくる。
それはなんでだろう?
と思ったことが今までなかったけど、
あ、そういうことかも、
と気がついた。
*
そもそも、自分のことを
どれだけ自分で知っているんだろう、
ということから考えてみるんだけど。。
これは解剖学者の養老孟司が
なにかの公演で話していたことで、
寝ている時間って、自分で自覚がありますか?
っていう。
もっというと、
血液の量を自分で決めたり、
肝臓なんかの調子をよくするために
自分で内臓の動きを意識してコントロール
することも…、できない。
*
ちょっと話は飛びます。
最近、ミミズとか、なめくじとか、
無脊椎動物の生態を観察する動画を
みるのが好きなんだけど、
やつらは大体みんな同じような動きや
反応をする。
たとえば、
ヒルは塩がすごく嫌い、とか。
(かけると死んじゃうから
嫌いというレベルじゃないかもだけど)
死んじゃうと、さっきまでうねうね
ぐにゃぐにゃしていたのに
固くなった樹脂のようになる。とか。
なんでそうなるんだろう、
と不思議に思うし、ものすごく
うまいことやって捕食したり、
危険を察知したりして生きているんだな
と思う。
こういうことが、すごく「自然」に沿った
おおげさでもなく、億単位の年月が
累積した現象のように感じる。
人間の「意識」とは別物のようにも。
*
で、人間の「無意識」の部分。
細胞がいれかわったり、爪や髪の毛がのびたり、
内臓が働いたり、傷ができるとかさぶたが
出来るとか、食べたものを分解するとか、
人間の活動のほとんどは、
「勝手に」やっている。
さあ今から眠りにおちようとか、
眠りから覚醒しようとか、
ということにしたって、
自分でコントロールできない。
つまり、自分の体のなかにも、
ナメクジやヒルみたいな
自然現象がうごめいている。
(たとえが気持ち悪くてすみません)
*
自分が自分だって思っているのは、
「意識」しているわずかな分量でしかない。
それ以外は、分からない。
知識として知っていても、
感覚として分からない。
なので、
起きている時間の、わずかな意識を掲げて
「これが自分のすべて」と思っていることが
ちょっとおかしいということなんだけど…
さらに追い込みをかけるなら、
意識とか、考えの中にも、この無意識は
平気で入り込んでくる。
なんか今日は気分が落ち込むなとか
悩み事が尽きないとか、
ぼーっとしているときに、
ふと、思い出したことがあったとか、
僕らの意識は、そんな日々の気持ちさえ
コントロールできない。
つまり、ごちゃごちゃ。
基本「わからないだらけ」。
これが人としてのベーシックです。
*
さて、「本」の話に戻ります。
「本」は性質上、純粋な「意識」だけで
ほぼ成り立っている。
考えた事、感じた事、得たものを、
人と共有できるように
整理した「意識」によって作られる。
だから、本を読むと、
とても「クリア」だなと思う。
小説の主人公が、どんなに
迷っているような描写であっても、
それが、どのように、どんな意味合いで
迷っているのかが、はっきりしている。
*
人は、基本わからない。
そんな自分を不安に思うと、
分かっていたいと思う。
だから本を読む。
本は意識。
無意識など入り込む隙も無いくらい
びっちりと。
だから、本を読むと、頭もクリアになる。
これが本を読みたいと思う理由。
*
本を読んでいる間は、
「見えている」と思える。
田舎の山の夜空に見える星空に
自分の知っている星座をひとつ
つなげてみて、ほらみえた!
ぼくはこの世界のことを
よくわかっている、と
思うようなものかもしれないけど。
2020/05/03