ことばのロボットいろはちゃん 更新2020/8/5

黙るススメ

「ことばで言ったって分からない」
と思うことはたくさんある。

同じように、
「ことばでは分かっているんだけど…」
ということもあって、そうなると
なかなか大変。

良い例えが思いつかないので、
ドラゴンボールを引き合いに出すけど。

悟空やクリリンは、
亀仙人のとこへ強い技を教えてもらおうと
勇んで行くが、
重い「亀のこうら」を背負わされるだけで
極意を教えてくれるわけではない。

疑問に思うふたりだが、
地味な修行を日々続けると、
信じられないくらいのパワーが
身についていた。

こういうことだったんだ、と。
「なってみて」はじめてわかる。

修行や、何かを伝授されるときって
感覚とか、体感とかの問題だから、
ことばで言われても、あるいは
意味は分かってはいても、
本当にその感覚になっているかどうか
はまた別問題。

それを承知で、今日は
二つの文章を引用します。

モーモーまきばのおきゃくさま
(偕成社)
マリー=ホール=エッツ ぶん・え
やまのうちきょうこ やく

この絵本の内容はともかくとして、
あとがきに注目したい。

「作者と作品について」という
訳者による解説。

「絵本を描いて子どものためにつくそう」
と思ったエッツは、
「はじめは、子どもの言葉をまね、
子どもの好んで描く絵をもとに
絵本をかこうとしてみましたが、
どうしてもうまくいきません。
そこで、マリーは、絵も内容も言葉も、
子どもにおもねることなく、
自分の心の中にあるほんとうのことを
かかねばならないと悟ります。」

…この一節を読んで、
なるほどなと思う人も、
そりゃそうだ、と思う人も、
感銘を受ける人もいるかもしれない。

だけど、
そうなっている人は、
こういう文章を読まなくても自然と
体感を得ているだろうし、
なれない人は、
何度この文章を読み返したとしても、
体感できない。

こういう文章は、お祈りみたいなもので、

(受験に合格したいひとが、
日に何度も一生懸命神社に参拝し、
朝から水をかぶってみたり、
大きい山の上の神社に登ってみたり…
いや、まず勉強しろよ!
みたいな吉田戦車のマンガがあったけど)

読んで満足、書いて満足するような
ものは本末転倒。
たとえば、さっきのあとがきを読んだら
毎日、黙って自分の気持ちが聞こえてくるまで
瞑想したらいい。
それをせず、分かったつもりになるのは
けしからん。
と自分自身に思う。



水木しげる「なまけものになりたい
(河出文庫)
これはエッセイ集なんだけど、
途中なぜか漫画講座のシリーズがあって
ついつい読んでしまう。

「親切なる漫画のかき方
(早くうまくなる方法は一に努力
二に努力三に努力と知るべきなり)」
から始まる。

努力をしろと言われても、
頑張れるわけではないので、
アキラメルナ、というメッセージとして
受け取っておくことにしよう。
あきらめないことなら、ぼくにもできる。

「まず何をかくか、主題を決定して
おかなくてはいけない。
自分自身が何をかくのか
ハッキリしないようでは、
とてもじゃないが読者がナットクするものは
できない。
自分が感動したものを主題にするのが
一番好ましいと思う。」

「人の原作でも、自分の創作でも
かまわない。
その中に自分の魂が入っていると、
人をひきつける力が出てくるものなのである。」

こんなの誰しもが思うだろうし、
ぼくだってこの文章の意味は分かるんだけど、
実践できているか、というと
できていない、という気持ちになる。

「自分自身の感動」これをずいぶん前から
どこかにおいてきてしまったように
思われてならない。

亀仙人は、何も言わず、甲羅のおもりを
背負わせた。

同じように、ぼくは、
何も言わず、書かず、
自分自身の感動を体感できるまで
座禅でも組むしかない。
…と、割と本気で思っている最中です。

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