詩を低次元化してみた
暇だなあっていうときは
全然眠くならないのに、
立て込んでくると
夜の九時には眠くなる。
普段は面倒だなと思うのに、
机に向かおうとすると
床のほこりを隅々まで掃除をしたくなる。
普段はテレビやyoutubeをぼーっと
眺めているだけなのに、
心配事があったり、悩みや、どうしようかと
思ったりすると、
本でも読んでみようかと思う。
一日長い時間を椅子に座っていると、
たまには立って仕事をしてみようかと思い、
立っていると、窓を開けて、
すこし散歩でもしてみようかと
天気を伺い始める。
したくなる、の裏にはしたくないが
隠れているんだなと思う。
気圧の低さで、
どれだけ強い風が吹くかが決まる、
というように、
嫌さとか悲しさの大きさで、
「やりたい」という気持ちの強さが
自然と決まってくる感がある。
この人は、若いのにしっかりしているな、
っていう人は、
それなりの理由があったんだろうなって思う。
*
全然別の話題。
お風呂で詩集をひらいて
読んでいたら、
妙に納得してしまう一篇があった。
その感想を言いたい。
でもむずかしい。
だって
詩はいろんなとらえ方ができて、
日常会話の言葉では語れない口調で
ものごとを示すから。
要するに詩は高次元な言葉づかいだから。
じゃあ、
「ぼくの解釈は次元を落とした言い方」だ
と、割り切ることにして、
雑であることを承知で意訳してみよう↓
谷川俊太郎
「空を読み/雲を歌い」より
()内はぼくの意訳としての差し込み。
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空の青さをみつめていると
私に帰るところがあるような気がする
↓
(空を見ているとおちつくなあ)
だが雲を通ってきた明るさは
もはや空へは帰ってゆかない
↓
(でも自然と人は違うんだよな)
陽は絶えず豪華に捨てている
夜になっても私達は拾うのに忙しい
人はすべていやしい生まれなので
樹のように豊かに休むことがない
↓
(ぼくたちは忙しさに油断している。
太陽ってきれいだよなと感じることより、
忙しさの方が大事だと思うほど。)
窓があふれたものを切りとっている
私は宇宙以外の部屋を欲しない
そのため私は人と不和になる
↓
(人のせわしない日常では視野が狭い。
もっと宇宙を意識して過ごしていたい、
そうすれば、周りの人はあまり関係がないように
思えてくる、いい意味で)
在ることは空間や時間を傷つけることだ
そして痛みがむしろ私を責める
↓
(悲しみがあるから、生きている意味を感じる
っていうけど、なんだそれ、辛いな)
私が去ると私の健康が戻ってくるだろう
↓
(よくありたい、いい人間でいたい、
という「煩悩」がなければ、楽なのにな)
*
(言いしれぬ気持ちって大事だなあ)
2020/10/18