気遣うためのオリエンテーション
とあるカップルの会話。
「こんどの映画さ、なにみる?」
「え、どうして?」
「どうしてって?映画行きたくないの!?」
「え、そんなこと言ってないじゃん!」
…
…というささいなところから、
ケンカが始まる。
よくありがちなシーン。
*
断片から、予測して
なにかを読み取ろうという現象が、
人にはあるようです。
上記の例は、「先回りして察してくれるな」
あるいは「そんなつもりはないのに」パターン。
逆のパターンもある。
こういうの。
「冷蔵庫に水ある?」
「あるよ」
「えーどこ?見当たらないけど」
「冷却器の下に溜まってるよ。」
「え?ぼくが欲しいのは飲み水だよ…」
冷蔵庫に水ある?といえば、
飲料水だということは、
言わなくてもわかるだろ、と。
つまり「そこは察してくれ」パターン。
いや、もしかしたら、
「水ある?」と聞いた人が、
冷蔵庫に保管したフィルムが
ダメになった理由を探していたら、
「冷却器の下に溜まっているよ」
という回答は、的を得ている。
察し、が当たるかどうかは別として、
そういうふうに、
断片と断片を、勝手に予測して
繋げたくなる心理がある。
*
たとえばこんなの。
「彼は飛び込み台の一番高いとこから
プール飛び込んだ」
「彼は足を折るケガを負った」
と、この二つの文を見ると、
足を骨折した原因が、
プールへの飛び込みであるように思える。
*
「彼に思い切って告白をした」
「その夜、私は目を泣きはらして、
友人と長電話した」
これも、書いてないけど、
フラれたのは明白、に思える。
(いや、もしかしたら、
告白には成功したが、彼が多額の借金を
背負っていた事が明るみになったから
泣いたのかもしれない)
想像するとキリはないけど、
こういう効果って、映像でいうところの
モンタージュ効果みたいなものか。。
*
こうやって、察したり、
勘違いされたりする、
という心理を意識してみること。
それを
『コンピュータと認知を理解する』
という本では、
「我々が世界を「気遣う」基本的な
オリエンテーションである」
という書き方をしていた。
断片から察する、というのは、
つまり、相手がどんな状況にいるかが
重要だったりする。
冷蔵庫に水を探す人が
喉が渇いていたのか、
フィルム不良の原因を探してたかで、
「水ある?」の意味が変わるように。
人の話を聞く時、自分から語るとき、
相手がどういう状況にいるのか、
想像して考えること自体が
気遣うための
オリエンテーションなんだって。
これは、面白い。
ぼくは面白がっても、
実生活に落とし込むことが
苦手。
だけど、それを遊びに
変換してみることはできそうだ。
ちょっと考えてみたい。
2019/04/25