わたしのための言葉
おみくじを引くと、
吉とか大吉などが
出るのはもちろんのこと、
「願望」や「縁談」や
「売買」「失物」などという
項目があって、そこに
「叶ふ」「叶ふが遅し」
「一進一退なり」「進みてよし」
「十分注意されよ」「慎重に」
などの回答が割り当てられている。
場合によっては、
漢文詩みたいなものも付いていて、
「春に遭うて駿馬おごる
前程よろしく…」
みたいな、
人生の先見が格言のような
言葉で書いてあります。
*
占いの優れたところは、
ここにあると思っています。
一般的な書き方しかしていないのに
読んでいると妙に納得してしまう
というか、
具体的に「これから」の事を
思い描いている自分に気がつく。
おみくじにある言葉には、
ものすごく個人的な「未来像」を
想起させる力があるのです。
なにかの抽象的な作品を鑑賞するとき
「見る人に解釈をゆだねる」
とか、
「10人いたら10通りの見方がある」
みたいなことをよく言われたりします。
そんなものと同じで、
おみくじを手にしながら
「もしかしてアレは、
あの事を言っているのかもしれないな」
という、誰のものでもない
自分だけの想起を思い描いてしまう。
それはなぜか。
たとえば小説なら、どの本屋で
どれを買っても同じ内容だけど、
「おみくじ」はそうではない。
私が引き当てた、
私のための言葉なんだ、という
前程が大切なのだと思います。
暗に自分が何を欲しがっていたのか、
自分が思いえがきたい幸せとは
なんだったろうか。
こういう、普段からの曖昧な事柄が
「天からの言葉」として
具体的にわたしに近づいてくる瞬間。
自分の事をたしかめることが
できたような気がしました。
2013/01/03