もしも隣に住んでいたら…
「わたしくらい絵を消しては描いて…
を繰り返している人はいるのかしら」
という林明子さん。
描いても、描いても、わたしは下手だから
というのは、謙虚さというよりも、
実直な観察と、それを感じる心の繊細さ
その高精細なレベルに絵で迫ろうとする
根気という気がする。
インタビューの記事を読んだだけなのに、
どこか勝手に親近感を覚え、
まるで隣で仕事をしている仲間が
ものすごい高い視線を持っていることに
感化された、
という気分になってしまった。
正座して、背筋をのばして、
心が改まる。
そういうことかっていうかんじ。
*
なんで調べているかっていうと、
Radiotalkのネタのためなんだけど、
もうひとつ調べているのは、
「おさるのジョージ」。
日本では最初、ひとまねこざると訳されていた。
日本での一作目では、
物語のなかで動物園を抜け出したジョージが
「黄色い帽子のおじさんを探しにいく」と
唐突に「黄色い帽子のおじさん」が
出てくるんだけど、
アメリカでは、これよりも前に出ている
1作があった。
「ひとまねこざるときいろいぼうし」
ここで、黄色い帽子のおじさんとの
出会いが描かれている。
アフリカから船に乗って
アメリカにやってくるんだけど、
じっさいに夫妻はサルを飼っていて
一緒に船に乗った経験も
あるらしい。
*
作者である夫妻は、
とにかく好奇心旺盛で、
ブラジルへの旅行の経由で立ち寄ったパリに
4年間も滞在してしまうというほど。
夫妻は、ふたりともドイツ生まれ。
1930年代というと戦争真っ只中。
1939年にはフランスにいたが、
ドイツが攻めてくるという情報を
聞いて、いそいで自転車を2台組み立てて
スペイン、ポルトガルと抜けて、
ブラジルを経てアメリカへ渡ったという。
初めてみる国へいき、
ことばの通じない人たちに囲まれ、
あれはなんだろう!とさぞ関心を
もっただろうな。
ビルの高いところから、
街を見下ろしたり、
人々の喧騒や交通渋滞や事故を
目の当たりしたり、
漁師や、サーカスの仕事なんかを
たくさん写真に収めたり、
きっとその体験が絵本の面白さの
源になったのだろうな。
*
ナチス政権が横暴した時代。
皮肉なことにも
そういう閉塞感や、危機が
自分を動かす要因になったりする。
もしも、平和だったら
彼らはアメリカに移住していただろうか?
ジョージの絵本が、こんな物語に
なっていただろうか?
好奇心の裏側には、
危機感があったから
いつも自由をもとめて
動き回っていたのではないか、
と思う。
*
今、自分だったらどんなふうだろう?
現在は平和なのだろうか?
物質的には豊かではあるものの、
命の危険といえば災害があり、
コロナも閉塞感を生んでいる。
あとは実際の体験以上に文字情報での
伝達が多いので、
精神的な不安定さもあるような。
そんななかで、
自分がなににわくわくして、
どうすることが気分の解放になるんだろう。
「なにか作らないと」
という焦りが先走ってしまって、
それが何なのか、
自然なきもち、ではなくて、
無理に作ったおできみたいなものだったら
どうしよう。とか。
そういうことに思いを寄せる
もし、レイ夫妻が隣の家に住んでいて、
ときどき一緒に晩御飯を
たべるような友人だったら…
どんな話をするかなと考える。
想像するだけで、緊張感と、わくわくが
伝染してくる。
2020/09/29