なにもない、という落とし穴
科学の見地っていうのと、
個人的な主観って、
なかなかそぐわない。
「生命の劇場」ユクスキュル著
(講談社学術文庫)
という本の最初の方を読んでいたら、
こんな文章が。
私たちには、
ハエみたいな一面があるです。
ハエにとっては、いま自分が
マッチ箱の上にいるのか、
封筒の上にいるのか、
そんなことはどうでもよくて、
たとえ開いた本の上にいたとして
そこに何がかかれているかは、
ハエには一切関係がない。
著者のユクスキュルは、
「生物から見た世界」を書いた人で、
環世界という考え方を提唱した人。
*
ここからは、たとえばの話で、
そのハエに知能と、好奇心が備わる
不思議な装置を適応させることが、
できたとしよう。
装置を付けている間、ハエは
マッチ箱を認識できるようになる。
なるほど、
人間が火をおこすのに使う
マッチというものを、
この箱にしまっているのか。
それに、いろんな模様やデザインが
あって、ユニークなんだ。
という概念と知識を、知れたとする。
だからといって、
肉体はハエのまま。
「不思議な装置」をつけていても、
感覚としては受信できない。
そういわれているらしいが、
いま、自分が立っているところが、
その、マッチ箱と呼ばれるものかどうか、
実感としては、わからん。
*
みたいなことが、
人間にもある、と言いたいんです。
原子とか分子とか、電波とか、
空気もそうだし、ウイルスも。
目に見えないけど、あるらしい。
ということが、たくさん。
五感で認識できないものは
基本的には無いと思って
差し支えないことが多いから、
感じられないものは、無いと思いがち。
*
だけど、電気や電波には
おおいにお世話になっているとか、
気圧や湿度が、知らずに
人間の体調に影響を与えていたり、
ウイルスも、目に見えないけど、
そこにはあって、なにかしらの
影響をこちらに与えてくる。
環世界的に考えていくと、
感知できないものは、
その生き物の主観でいえば、
「存在しない」で成立する。
でも、そうでもないじゃない?
と、最近感じる。
人の環世界の外にあるものも、
こちらに影響を与えてくる。
という例が上記であげたように
いくつも見つかる。
*
じゃあどうすれば?と思うけど、
空気に限っていえば、
間接的に存在が分かる時がある。
風が吹けば感じるし、
無風なら何もない、と思っても、
匂いがすれば、それは空気があるから。
匂いがしなくても、音が聞こえる
というのも、空気が充満して全体が
振動しているから。
熱い鍋に蓋をして、
そのまま冷やすと気圧の差で
蓋開かなくなるとか。
これが空気の重さだよっていう。
*
「感じなきゃ、ない」
なんてことばかりではない。
と、思っていた方がいいよなあ。
2020/06/25