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なにもない、という落とし穴

科学の見地っていうのと、
個人的な主観って、
なかなかそぐわない。

「生命の劇場」ユクスキュル著
(講談社学術文庫)
という本の最初の方を読んでいたら、
こんな文章が。

私たちには、
ハエみたいな一面があるです。
ハエにとっては、いま自分が
マッチ箱の上にいるのか、
封筒の上にいるのか、
そんなことはどうでもよくて、
たとえ開いた本の上にいたとして
そこに何がかかれているかは、
ハエには一切関係がない。

著者のユクスキュルは、
「生物から見た世界」を書いた人で、
環世界という考え方を提唱した人。

ここからは、たとえばの話で、
そのハエに知能と、好奇心が備わる
不思議な装置を適応させることが、
できたとしよう。

装置を付けている間、ハエは
マッチ箱を認識できるようになる。

なるほど、
人間が火をおこすのに使う
マッチというものを、
この箱にしまっているのか。
それに、いろんな模様やデザインが
あって、ユニークなんだ。

という概念と知識を、知れたとする。

だからといって、
肉体はハエのまま。
「不思議な装置」をつけていても、
感覚としては受信できない。

そういわれているらしいが、
いま、自分が立っているところが、
その、マッチ箱と呼ばれるものかどうか、
実感としては、わからん。

みたいなことが、
人間にもある、と言いたいんです。

原子とか分子とか、電波とか、
空気もそうだし、ウイルスも。

目に見えないけど、あるらしい。
ということが、たくさん。

五感で認識できないものは
基本的には無いと思って
差し支えないことが多いから、
感じられないものは、無いと思いがち。

だけど、電気や電波には
おおいにお世話になっているとか、

気圧や湿度が、知らずに
人間の体調に影響を与えていたり、

ウイルスも、目に見えないけど、
そこにはあって、なにかしらの
影響をこちらに与えてくる。

環世界的に考えていくと、
感知できないものは、
その生き物の主観でいえば、
「存在しない」で成立する。

でも、そうでもないじゃない?
と、最近感じる。

人の環世界の外にあるものも、
こちらに影響を与えてくる。
という例が上記であげたように
いくつも見つかる。

じゃあどうすれば?と思うけど、
空気に限っていえば、
間接的に存在が分かる時がある。

風が吹けば感じるし、
無風なら何もない、と思っても、
匂いがすれば、それは空気があるから。

匂いがしなくても、音が聞こえる
というのも、空気が充満して全体が
振動しているから。

熱い鍋に蓋をして、
そのまま冷やすと気圧の差で
蓋開かなくなるとか。
これが空気の重さだよっていう。

「感じなきゃ、ない」
なんてことばかりではない。

と、思っていた方がいいよなあ。

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