たのしい間違い
ルイス・スロボドキン絵
F・エマーソン・アンドリュース作
「さかさ町」(岩波書店)
スロボドキンの絵を目当てで
選んだ本だけど、話も面白かった。
さかさ町というのは、
とにかく、さかさま。
家も、車の向きも、看板も、
レストランのコース料理もさかさ。
おとなはあそび、こどもが働く。
ここまでは、ただの変な話に
すぎない、と思っていたけれど、
「さかさ小学校」という章から
もしかして。と思う。
「平日は、どの子もたのしんで
はたらいておるから、
学校へいくひまなどないからな。
子どもたちは、いちにんまえのしごとを
することで、社会でたいせつなことを
じゅうぶん学ぶ。
だから学校へ、いくひついようは
ないんじゃよ。」
ここを読むと
本当にそうなったら良さそうだ。
と思ったりする。
保育園や幼稚園の代わりに
子どもたちの職場があったら、
どうなるんだろう。という
考えがうかんでくる。
*
歴史の学び方も、
「わたしたちは、まずはここ、
現代のさかさ町から学びはじめる。」
のだという。
普通は、縄文時代から始って、
高学年になってようやく
明治大正あたりに辿り着く。
いくら学校で勉強しても、
自分の土地の歴史は案外分からない。
子どもの頃だからこそ、
勉強は自分の生活と地続きであって
ほしいなと、
そういう考えがうかんでくる。
*
面白いのは「わすれよ科」。
覚えるんじゃなくて、
わすれてしまえ、ということを
科目にしている。
ぼくは、ここを読むと
アドラーを思い出す。
「トラウマ」を否定し、過去は今とは
ぜんぜん関係ない、って言った人。
「前向き」の弊害になる事柄であれば、
それは「わすれよ」という。
「悪口」「悪い習慣」もわすれよ。
間違えもわすれよ。ということで、
こんな歌をうたっている。
「(〜♪)
7+5は、11じゃない。
まちがいなんだ、わすれよう。
7+5は13でもない。
まちがいなんだ、わすれよう」
この歌すごくいいなあ。
ここから話がそれるけど、
このあとに、ぼくが
歌詞を付け足すなら、そうだな。
「せいかいはひとつ、
まちがいは、たくさん。」
もうひとつ注文をつけるなら
「わすれよう」の歌詞は削除。
たのしい間違えを、
学校でおぼえたらきっといい。
たとえば、
「じてんしゃは はぶらしじゃない。
まちがいなんだ。
えんぴつは てんぷらじゃない。
まちがいなんだ。
せいかいはひとつ。
まちがいは、たくさん」
こういうのを小学校の生活科で
歌ってほしいな。
2018/03/24