「ありのまま」と「無常」の差
今日は「ありのーままでー」と、
「世界ーにひーとつだけの花」について
考察してみようと思う。
この曲の意図としては、
他人の評価に振り回されたり、
よりよく見せようとしなくても
充分だよと。
肩の力を抜きなさいと。
物理学者のファインマンさんが
自分の研究で大事なのは
(周囲を)「無視せよ」ということだと
メモを残していたとか。
意味合いとしては、
そういう事だと思う。
「気にすんな」と。
それはそれでわかる。
でも、それでいいのか、
って考える人たちもいる。
*
それが南直哉さん。
問題は「ありのままで、世界にひとつ」
としたあとに何を考えるか、
なんだけど、
じゃあそもそも「自分のままでいい」
っていう「自分」ってなんだと。
人それぞれ
「これが自分である」
「こういうふうにありたい」
という思惑があると思うけど。
南直哉さんの話を聞くと、
それこそが、
実はやっかいなものなんだと。
*
とにかく「ままならない」。
ぼくは子どものころから
そうなんだけど、
神社でガラガラ鳴らして
手を合わせて目を閉じ(お祈りをす)ることが
どうして恥ずかしい。
最近は我慢はできるようになったけど、
恥ずかしさは変わらない。
もっとひどい時は、
人前で目を閉じることも
できなかった。
たとえば部活帰りに、
みんなで電車に揺られているとき、
疲れてうとうとする友人もいる中で、
ぼくは目を閉じたくなかった。
なぜって、目を閉じている自分の
顔を見られるのが恥ずかしいから…。
そういうのに、平気になりたい。
これが、昔からの自分の「そうありたい」
と思う理想。今でもなお。
そうありたいと思っても
治らない。つまり、ままならない。
我慢はできるけど、
しかし「ありのまま」でいいなら、
恥ずかしがって、お祈りどころではない。
*
変わるとか、
変わりたいとかいったら、これ↑。
今の自分のままでいたい、
という気持ちと
変わりたい、という気持ち。
でも、無常という考え方でいうと、
これも違うんじゃないかと。
くうき(まっくろくろすけみたいなものを
想像してほしい)のことを見習ってみたい。
空気がなぜ動くか、
どうして風になるか、
なぜ塵や水蒸気を抱えて
どうして上昇したり、
下降したり、するんだろう。
これには、はっきり理由がある。
くうきの中の一匹が
自分はジェット気流に向いているから、
とか、
雨雲には加担したくない、とか、
思ってもしょうがない。
くうきが、風になるか、
動物の細胞にしばし滞在するかは、
ままならない。
自分でコントロールできない。
思うと、思わざるとにかかわらず
ままならないということを
受け入れるということが
無常観だというんだって。
*
大丈夫だよ、
きみは変われる。
なんとかなる。
ありのままが、世界に一つなんだから。
これが一般的には甘い言葉。
だから無常って、
人が欲しがる言葉とは
ちょっと違うかもしれない。
でも、そっちのほうが、
本当だっていう気がする。
ままならぬものを、
コントロールしようとすると
ままならぬだけに
時々、人生地獄がやってくる。
なんか知らなけど、やっちゃうとか
これをしないとどうにもならないんだ、
みたいなことと向きあい続けることが
いい意味でもそうじゃない意味でも
実は大事なのかも。
2020/09/26