ノイズキャッチャー
昔、大学生だったころ、
大学の講師をしている先生の
個展を見にいった。
光と影をつかったインスタレーションで、
水面の反射のような光と影が
部屋全体にゆらいでいる。
その人が、
「海の波をずっとみていても
飽きないのはどうしてだろうね」
と、言っていたのを、
思い出した。
*
どうして思い出したかといえば、
ずっと家にこもっているから。
こもっていると、「たたずむ」
ということができない。
ただ、何も考えないで、
そこにいて、良い心地、ということ。
ベランダに出ると、
ひざしがさして、遠くの大気全体が
ゆっくり動き、まばらな温度の空気が
さわり、鳥がさえずっていて、
ふと虫が目の前を飛び、
風のいい匂いがして、外の広さを
体全体で感じられてくる。
こういうのがあると、
たたずめる。
ちょうど、寒い時に温泉につかるように
じんわり。
*
「波をずっと見ていて飽きない」
ということが、よくわかるなあと。
普段は、聞いていないような音、
感じていないと思っているノイズって
じつは、けっこう影響あたえていたんだな。
大きい建物にあるような空調の音とか、
飛行機とか、電車の音、
たき火の音、中華屋さんの鍋でからからと
油のはぜる音、川の流れる音、人の寝息
…
聞いているとも、聞いていないとも
つかないけど、
それがあると、ぼんやりたたずんで
いられる。
*
最近、レイチェル・フィールド
という人の本を読み始めたばかりなんだけど、
彼女の詩集に、こんなのがあった。
「夏の朝」
早起きして わたしは見た。
あかつきが そおっとしのび足で
空を 歩いていくのを。
カモメが 飛んでいくのも見た。
それから海が いちばんきれいな
青いサマードレスを 着こむのも。
松の木とネズの木が たくさんの
みどりの腕を さわんさわんと
ゆり動かすのも きいた。
わたしには はっきりと
風の呼ぶ声が きこえたのだ。
「早く 出ておいで!きょうは
もう 始まっているよ!」
*
勘のいい子は、
ノイズをノイズと思わない。
千家元麿という詩人も、
30歳の頃、長いスランプを抜けて
はじめに書いた詩集が
「自分は見た」。
本が実家にあるので、
内容は忘れてしまったけど、
とにかく、なんでもないノイズが、
突然自分にとって、
意味のある効能として見えた、
というもの。
本当にだいじなのは、
「優先事項」じゃなくて、
なんでもない、と思っていることに
関心を寄せることなんじゃないかな…
と、ぼんやり派のぼくは思う。
2020/04/30