90日間毎日似顔絵描いて思うこと
似顔絵はむずかしい。
似顔絵のバロメータを2つに分けるとしたら
「似せる」と「かわいく」。
このふたつの均衡がうまいこと
とれるといいのだけど、なかなかむずかしい。
*
まずは「似せる」について。
よく有名人が一般の方と結婚されたとき、
「相手の方はどんな顔立ちですか」と
似顔絵を描かされることがありますよね。
真面目なひとほど、
似せようとおもって、
鼻の形や、笑った時にできる頬の線や
目じりのカーブ、口からのぞかせる歯、
こまかいシワなど、
しっかり再現しようとする。
すると、大体が不細工に見えてしまう。
なんか、怖い…みたいな絵に。
ちょうどこんなかんじに。
ふつうに目をちょんちょんで、
口をニコって描けばかわいくもなるけど、
それだと似ない。
だからこうなってしまう。
人間の目はふしぎなもので、
その人をよーく見ると、
笑うとシワもできるし、
鼻の下にハマジみたいな2本の線が見えるし、
鼻の形も穴もドデ―ンとしているのに、
じつのところ、そうは見ていない。
余分なものとして、普段は見ていない。
見てるけど、意識にのぼらないというか。
でも、いざ似顔絵を描くと意図せず
強調してしまって、違和感につながっちゃう。
仮に「似せる」を極端まで突き詰めても
写真になるだけで。
写真には、それ以上も以下もない。
いつも見ている自分と同じだから。
つまり、「似せる」だけでは絵としての
限界があるんです。
*
ぼく自身、似顔絵を描いていて
勉強になったり、おもしろいなと
思ったのは、似せる方の目線でした。
顔はもちろん、体のボリューム感、
服のシワや模様などの様子など、
こまかいところ、
見えている面積の狭いとこほど、
しっかり観察して描くと
光や質感やボリュームが出せる。
面白いけれど、
それをやり「すぎて」しまうと、
絵としての味わいがなくなってしまう。
だんだん、写真でいいじゃんって。
*
そこで、登場するのが「かわいさ」。
多少似ていなくても、
かわいければ、喜んでもらえることが
経験上多いんです。
それには、ちゃんと理由があって。
たとえば、ホウレイ線があっても
そのまま線をずずっと描くと、
やっぱりかわいさが無くなる。
違和感がにじみ出る。
たしかにホウレイ線はあるにはあるけど、
こんなにくっきり出ていたかしらと。
でもかわりに
とても短い線をくちもとにちょんと描けば
それがホウレイ線ではなく、
わらった口元になる。とか。
顔をクシャっとして笑った眉間も、
ぎゅっと力の入った感じにするには、
その通りにしわを写し取るのではなくて、
点にも近い、短い線をベストな位置に1つ
ちょんと入れるだけで、らしさがでる。
要するに、人が人を見る時って
そもそもデフォルメしてみているんだな
っていうことが分かる。
だって、デフォルメした方が、
端的に「らしく」、「かわいく」描けるから。
*
あとは、まったく別の要素だけど、
絵を描くとき、心の乱れ、がとても影響する。
イライラするとき、集中できないとき、
時間に追われて焦っているとき、
雑念オンパレードで、いい絵にならない。
「ぐりとぐら」を描いた大脇百合子さんは、
絵を描く時は、お茶の時間のときみたいに
リラックスして描くのがいいと
言っていました。
あれは、実は、描く側というより、
絵を見る人の立場に立って描くという
ことなんじゃないかなと思う。
絵を描くと、なかなか大変な作業だし、
時として面倒だし、すごく集中力を必要と
するし、描いているときの心の静けさや、
根気、やる気、集中…
よく分からないけど、環境と心と整えて、
かつ決められた時間の中で描くという。
想像するだけで疲れる。
けれど絵を見る人って、そうじゃない。
楽しむために見ているから、
リラックスしているだろうし
もっとその絵からなにかを見つけ出したい
雰囲気とか、気持ちを感じ取りたい、
と自然とわくわくしながら見ている。
(ぼく自身が一読者としてそうだから)
そういう人の波長に合わせて
絵は描く必要があるんです。
だから、気持ちはいつでも
わくわくしていたい。
2021/01/08