worksは8/24に更新しました.

神様に叱られたい

ゴミ捨てが好きだ。
正確に言えば、ゴミ捨てにかこつけた
短い散歩が好き。
時間にして5分とかからないが。
 
部屋のドアを開けると、
目の前に大きなけやきがあって、
その奥に神社がある。
どんなにいい天気でも薄暗がりのある
いかにも昔ながらの日本的湿っぽさで、
とてもいい。
 
神社にはたいてい巨木が数本生えている。
それはご神木で、
そういう木が生えるくらい澄んだ、
神聖な土地に、神社は建つ。。
 
…と思っていたが、
実際ご神木というのは、
神社の建て替えが必要な時のために
木材として使う備蓄だったのだ。
 
そうか、そうだったのか。なあんだ。
ほんとかな。
 

 
ゴミ捨て場へ行くには、
神社の境内を通るのが近道で…、
いや、近道だから通るというより、
遠回りでも神社の方を通るだろうけど。
 
境内のご神木を見上げていると
ふと、心の中に声がひびく。
 
「けしからん、もっとしっかりやれ」
という
神様からの怒りを胸に受信する。
 
何に対してお怒りなのか、
もちろんぼくの日頃の素行についてだ。
お前には忍耐と頑張りと努力と我慢と
根性と意気地というものが、ないのか!
という。
 
そう言われてみると確かにそうだ。
怠け癖のある身には染みる。
言い訳ならいくらでもあるが、
言ったところでしかたない。
 
…実のところ、このテレパシーってのは、
「神様だったら、自分のことをなんて言うか」
と想像して、浮かんでくる台詞を
自分で思ってるだけ。
でも、そう思うことで
客観的に自分を見れるから
案外、的確だったりする。
 
慰めも励ましもあるが、
叱られるのはなかなか自分で
認めたくない。
 
自分で自分を叱るのは難しい。
 
自分に師匠でもいたら、
なんにも言い訳できないくらい、
へい、すみません。反省します。
とキューっと胸の縮まる気持ちがして
背筋も凍るのだけど、
自分で自分を戒めるには、
そこまでいかない。
 
だから、神社を通るときに、
神様の体裁で自分を叱ってみる。
そして、それが本当に神様から
言われたのだと信用してみる。
 
…ゴミ捨てから帰ってくると、
ちょっと神妙な気持ちになっている。
それが、好きだ。

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