worksは8/24に更新しました.

明治時代の中2病_1

判じ絵について
ちょっと関心があって、
のめり込むほどではないけど、
 
・「絵として面白い」、
・「あの無益な感じが日常的に
楽しまれていた時代」っていう
空気感、時代背景が気になる、
という意味で関心を持っていた。
 

 
東京は練馬区の石神井公園にある、
ふるさと文化館というところで
判じ絵の展覧会とトークイベントが
あるということで
出かけて行った。
あれはもう、1年くらい前かなー。
 
正直、判じ絵それ自体からして、
ほとんどが難しい。
 
答えを導き出すために
いくつかのハードルがある。
 
まず、「ルール」がある。
こういう場合はこう読む。
この絵が出てきたら、必ずこう読む。
など。
 
(具体例はここで)
 
それから、
時代背景に沿ったものの名前が
出てくるので、
現代の自分たちは使わない単語が
答えだったりする。
 
知っていれば分かることもある。
けれど、
知らないと分かりようもない。
 
つまり、こなれた人なら
察しがつくのだろうけど、
大体の人、あるいは初見の人には
ほぼ、わからない。
 
判じ絵の存在意義とは、なんだ。
あれはクイズか、脳トレか?
 
という疑問に対しては、
あれは一種の洒落で、
「これが答えなんですよ」
といわれて、
「あーなるほど」
というところで笑いが起きるもの
だと思った。
 
要するに「ねずっちです」みたいな
なぞかけに近いんだと思う。
多くの人にとっての存在感としては。
 
「お坊さんとかけて、なんと解く」
「朝刊と解く」
「そのココロは?」
「今朝(袈裟)きて、
きょう(経)読むでしょう」
ここより引用)

あー。
 
みたいな。
 
謎を解くというところに
面白みがあるというか、
答えを聞いて、初めてなるほど、
おもろいと、思えるもの。
だったんじゃないか。
 
だんだん、読み方のルールが
浸透してくると、
ちょっとまだ答え言わないで!
考えるから!
という人もいただろう。
それは玄人だ。
 
この絵を、そう解釈するのね、
というギャグな世界観に身をゆだねる。
そんなたのしい「ゆるさ」が
判じ絵の持つ存在効果でしょう。
クイズは、副作用。
 

 
話を戻して、展覧会の話。
 
展示されているほとんどのものが
江戸時代に作られたもの。
 
あの時代には、いい感じの
ゆるさがあったんじゃないか。
ぴりぴりしない、ほがらかさ。
ユーモアのある余裕というか。
 
そんな濃い産物が、
どうして現代の今のぼくたちまで
引き継がれずに、
展示会や本でしか見れない、という
遠い存在なったのだろう。
 
トークイベントの終わりに
登壇者のところまで歩いていくと
既に数人が集まって雑談していた。
 
割り込んで質問してみると、
判じ絵が現代まで引き継がれなかったのは
「戦争を経たからだ。」
「戦争がユーモアを禁止したのが大きい。」
と言っていた。
 
じゃあ、戦争がなかったら、
判じ絵なんかの言葉あそびが
今でも普通の遊びとして
あったんでしょうか?
と聞くと、
 
「そうかもしれないね」という意見と
「いやー、そうかなー時代が違えば
自然に消えてしまうんじゃないか」
という意見もあった。
 
そんなら「時代が違えば」って言うけど
具体的にどこで、どう違ったのかな?
と、疑問を残したまま、帰路についた。
 

 
さて。
幕末から明治にかけて
日本語は、まだバラバラだった。
 
かなりきつい方言が日本各地であり、
正しい日本語というモデルがなかった。
 
それを西洋の文化に触れてきた日本人が
今の日本は、やばすぎる!
と激しい劣等感と危機感を感じた。
 
そこで、日本に国としての
一体感を生み出すためには、
まずは言葉の統一だ。
ということで
立ち上がった人の一人に
吉田萬年がいる。
 
この辺りに日本語は、
様々な岐路に立ち、今の日本語に
形作られた。
 
続きは、長くなるので明日。

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