天使的な発想とは…
こないだ、発達支援の先生の
お話を聞いていて、これは!
と膝を打つような話を
教えてもらった。
*
「手をたたく」
と聞いて、どんなイメージを
思い浮かべる?
パチパチパチ、と拍手する様子を
想像するのが、
多数派なんじゃないかな。
でも、次のような文脈で聞いたら、
捉え方は変わるはず。
「つまみぐいをしようと
してたので、私は、だめ!と、
彼の手をたたいた」
…
手をたたく=拍手
という図式が頭に刷り込まれて
いない子がいた時、
たとえば歌を歌いながら、
「みんなで手をたたこう」
と聞いて、つい友達の手を
バシっとたたいた。
なんてことが、ありえる。
というような話。
*
大人の常識が、すべてではない。
思ってもみなかった視点をも
大切に取り込むこと。
そんな学びが、そこにはあった。
けれど、
ぼくは、その話を聞いて、
「そういう視点で子どもたちと
接するように意識してみよう」
と、思うわけではない。
ネタの一つとして、面白がっちゃう。
以前から考えていた
「字義通りにとらえちゃう
純粋無垢な天使」の
話のネタになるぞ!
という面白がり方。
…すみません。
*
普段意識せずに使っているけど、
「慣用表現」と、
「字義通りの意味」との間に
乖離があるものは、意外と
多いんじゃないか。
そこに違和感を、あえて感じてみることに
面白みがあるような気がする。
*
いくつかピックアップしてみようか。
飽きがくる(秋がくる?)
足をひっぱる(実際にはひっぱってない)
頭をしぼる(拷問か。発想として怖い)
甘く見る(熟したバナナをみるような?)
一杯くわされた(なにも食べてないけど)
腹がたつ(お腹は立たないよ)
腕をみがく(ぴかぴかにしてどうする)
お茶をにごす(お茶はもともとにごってる)
前にも書いたけど、
暗黙の了解(先読みタイプ)の
慣用表現もある。
ポスト見てきて
=新聞あったら持ってきて
という意味だけど、
見るだけみて、戻ってきちゃう。
とか。
*
こんな話を構想中。
つい先日、とあるお宅に
舞い降りた天使の子が、
おうちの手伝いをしようと
頑張る。
だけど無垢中の無垢なので
すべてを字義通りにうけとって
しまって、
なかなかお手伝いが
うまくいかない。
けれど、最後は、逆に
功を奏するできごとがあり、
大団円。という物語。
…なんだそれ?
*
あと、これ、
ほんっとに全然関係ないけど、
蛭子能収「ひとりぼっちを笑うな」
という本がいま、とてもすごく
読みたいです。
図書館に行こう。
読んだら作文かーこう。
2019/06/08