worksは8/24に更新しました.

お腹の中にある自然

解剖学者、脳生理学者の
三木成夫さんが書かれた
海・​呼吸・古代形象』(うぶすな書院)に、
植物や動物たちの体には
体内時計があると書いていまして。

体内時計というのは、
太陽と地球との周行リズムと同期して
朝や夜、季節ごとにあわせて
生きていく動きリズムを作り出すもの。

ある季節になると、渡り鳥がいっせいに
とびたっていったり、
鮭が川をさかのぼったり、冬眠したり、
目が覚めたり、
花が咲いたり、散ったり…っていうのが
あります。

どこかで、なにかを感知して
(あえて人の気持ちに変換するなら)
「ああ、そろそろだな」という
ハッとするようなタイミングを感じて
いるんだろうな~、と。

で、これが人間の場合はどうなんだ
と思いながら『海・​呼吸・古代形象』を
読んでいたら、(噛みくだいていうと)
季節に趣を感じることも、そうじゃん、
って書いてあったんです。

朝と夜はいうまでもなく、
寝て起きて、のリズムが自然とやってくる。

季節については、
その時々の自然に趣を感じて、
愛でるような気分が
どこかしらから湧いてくるって
ことなんじゃないかなあ、と。

そこに一節を読んで、
ちょっとうれしくなったのは、
「季節」や「体内時計」のことを
考えているとき、ぼくも枕草子のことが
頭をよぎっていたからです。

枕草子はご存知のとおり、
春は、あけぼの…
夏は、夜…
秋は、夕暮れ…
冬は、早朝…
などと、四季折々に
風情や趣を感じるあれやこれを、
具体的に書き記したもの。

四月についての一部を
抜粋してみよう。

「木々の木の葉は、
まだすっかり茂りきってしまわないで、
若々しく一面の緑であるのに、
霞がたちこめたり
霧が立ったりすることのない、
からりと晴れわたった空のたたずまいが
別になんということもないけれども、
浮き浮きと人の心を浮き立たせる、…」

「いったいどんな気持ちがするのだろう?」
「なんとも言いようがないではないか。」

とも続けている。

なんかいいなと思いながらも、
その理由や理屈は分からない。

だから、清少納言は、
指さしで示すように、
あれ、これ、それ、と並べるだけで、
なぜそれがいいのか、と
分析しているわけではないんです。

それが、三木さんに言わせれば
人間のはらわたになる体内時計の
なせるわざなんだということだと
思うんです。

そういう気持ちは
1000年を経た今でもなくはないのですが、
関心をもたなくなってきているな、
とは思っていまして、

もう一度しっかり、枕草子を
読み返そうかなと思います。

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