魔術としてのだじゃれ
日本には、
庭にどんな木を植えるかで、
吉兆を図る。
という伝承があるようです。
今では迷信だと言われますが、
かつては本当に信じられていたようで、
迷信じゃなくて、
俗信として研究もされているくらい。
「魔除けの民俗学」(家・道具・災害の俗信)
常光徹(角川選書)
という本をぱらぱらっと読んで、
その一節が面白かったので、参照してみます。
(面白いと思ったところだけ
ピックアップしてますので、
細かい発祥、年代等を知りたい方は、
ぜひ本を読んでみてください。)
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まずは、南天の木。
植えると「災難を逃れる」といいます。
難を転ずる「難転」という音が
南天と音が同じだから、らしいです。
え…音か!と思う。
以下は、ぼくの妄想なのですが…
現代の研究で見直してみると、
実は南天には、
人の気分をリラックスさせる物質が
匂いとして放出され、
人の危機感を和らげてくれる…
みたいな科学的な根拠があるのかな
と期待していたのですが、
根拠は音が同じということでした。
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つづいて、
梨の木を、鬼門と呼ばれる方角に
植えると良いという。
察しのいい方なら、すでにお分かりかと
思うのですが、
梨が無しという音と同じなので、
鬼門からやってくる災厄をなしにする
ということらしいです。
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ほかにも、
庭だけじゃなく、商業学校の敷地に
花梨と樫の木をセットにして植えると、
よいのだそうな。
だんだん、なぞかけみたいになってきますが、
これ、わかりますか?
花梨「かりん」「借りん」
つまり、借りない、と。
樫「かし」「貸し」
これは、貸す、という音。
これを商業学校で学ぶ「お金の動き」に
あてはめて考えてみると、
外に貸しあり、内に借りなし
ということらしい。…おもしろい。
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とはいっても、俗信って、
こういうダジャレだけじゃなくて、
「琵琶の木は棺に使われるので、
植えると死人がでる」とか、
「銀杏の木は、神社仏閣に植える
敷居の高い木なので、
家の庭に植えると、財産が減る」…
といったように、
「音の語呂合わせ」じゃない俗信も、
もちろんたくさんあるようです。
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が、ぼくとしては、
同音の魔力のほうに魅力を感じます。
いまでも、音で縁担ぎってしてる。
勝つぞ!という気合を入れるために、
かつ丼を食べたり、
試験の前に、なにかモノを「落とす」
ことに神経質になったり…
そうか、探してみると、
結構あるのかもしれないな、と思う。
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でも、いまよりも、江戸時代の方が
さかんだったのには、理由があって。
江戸時代では、
(識字率は、世界的に見ても、
低い方ではなかったようですが)
漢字が理解できないという人は多いらしく、
また伝承そのものが、声と耳で
受け継がれていくために
ことばを音でとらえることが一般的だった、
ということがあるようです。
であれば、音が根拠として
俗信が生まれていた、という体感は、
かなり「本気」で信じられていたのかも、と
ちょっとは想像がつくような気がします。
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先日書いた、
100m10秒台の壁理論でいうと
無意識の気分や風潮が、
現実の自分を作る、ということを
改めて考えてみると、
本気で「そうだ」と信じればこそ、
無意識の思い込みが現実に反映される
と思っても不思議じゃない。
本気で信じればこそ、
そこには効果がうまれる。
これが、俗信や伝承の科学的な根拠だと
言っても、過言ではないのかもな…
2021/07/11