風景の解釈
試作の材料をさがすときは
近所のホームセンター。
郊外なので敷地も大きい。
もちろん駐車場も広い。
車でいくと必ず屋上に停める。
1階が空いていても屋上に行く。
なぜなら景色が良いから。
山が遠くまで重なるように
連なっているのが見える。
奥の山ほど、うすくかすむ。
おおよいよい。
*
景色って、
見えるままだなあと思う。
見ながらいちいち言葉に解釈して
感じているわけではないし。
これもなんていったらいいか
むずかしいけど、つまり、
述語がなくても良いんじゃない。
と思ったりする。風景の描写に。
「修飾語+名称」の羅列だけで
言葉から風景は見えて
くるんじゃないか、という
予想を立ててみた。
試しに風景描写部分を以下引用。
*
東の山々は濃い藍色だったが、
その背後から射してくる光が、
洗ったような赤で山のふちを
かすかにいろどっていた。
そして、さらにさきに行くにつれて、
私の頭上あたりでは、その光が
冷たい灰黒色になり、
西のはずれ近くでは、完全に
夜のなかに溶けこんでいた。
(『スタインベック短編集』
「朝めし」より引用)
*
もうひとつ引用。
*
どんよりとした朝靄(あさもや)は
朝餉(あさげ)の炊煙と融(とけ)合い、
停車場前の広場に立って、
〜中略〜
眺めわたすと、
東山は白い靄に包まれて清水の塔が
音羽山の中腹に夢のようにぼんやりと
浮かんで見える。
遠くの愛宕山から西山の一帯は
朝日を浴びて
淡い藍色に染めなされている。
(「黒髪」近松秋江著より引用)
ああ、風景に述語って必要なんだ。
「濃い藍色の山々」
「背後からさす光」
「洗ったような赤い色」
と並んでいるだけじゃだめなんだ。
どういう位置関係で、
どんな相互作用があって
生じている現象か、
などという関係こそ風景なのであった。
名称だけぺたぺたはりつけても
奥行きは生まれないのか。
2012/06/20