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面白いってこういうことだったっけ

うちでは、
飲料水や料理でつかう水は、
水道水を使わない。

近くの大型スーパーにいって、
専用のボトルを手に入れて、
スーパーの水を汲んでいる。

ボタンを押すと、お茶がでる、
あの装置のデカい版みたいな機械に
ボトルを入れて、ボタンを押すと
どどどーっと水が溜められる。

満タンになるまでに
少し時間があるので、
近くのテーブルにすわって
ぼんやりしていると、
そばにいた4歳くらいの男の子が
水の溜まる様子を
じーっとみつめていた。

「いくよ」
とお父さんに声をかけられると、
まるで、魔法がとけたように
そちらへ戻っていったけど、
あー、そうだった、と思い出す。

面白いって、
そういうことだったよなあ。と。

道端にあるコンクリートの排水口から
水がこぽこぽ湧いてくるのを
見入ってしまう。とか。

石の裏にいる虫のむれをみると
うわーっと思いながら見てしまう。

天ぷらを揚げているとか、
ラーメンを大釜でゆでている様子、
冬の屋台で、肉まんを
ふかしている蒸気。

銭湯の湯船のぶくぶく、
たき火。

論理ではないところでの
面白さってあったよなあ。
もうほとんど忘れそうになっていた。

偶然古本屋でみつけた
「三歳児くん」いがらしみきお著
(スコラCOMIC BURGER)

というマンガを読むと、
これも同じようにハッとさせられる。

まだ小さな三歳児くんが、
扉のノブをつかもうとして
両手をあげると、
長袖が「すっ」と下がってしまう。

それが、おもしろくて
「あははははは」と笑うと、
「うるさいぞ三歳児っ」と怒られる。

おしるこのおもちを出されると、
食べる事よりも、
おもちがのびることのほうが
おもしろくて、
やっぱり「あははははは」。

机におもちがぽとっと落ちて、
また「あははははは」

お父さんも、お母さんも、
よく怒るし、
読んでいるこちらとしても
怒る人の気持ちが良くわかる。

大体、三歳児くんの絵のタッチだけが
ゆるゆるっと、いまにも溶けてしまいそうな
描き方で、
ついしゃきっとしなさい、とか、
この子将来大丈夫かしら、とか
心配してしまいそうになる。

ところが、どうだろう?
三歳児くんのほうが、「本当」だという
気もどこかでしている。

三歳児くんの面白がっている様子を見て、
こちらまで、
あ、そうか、それって、たしかに
面白いってぼくも思っていた。

面白さは、論理的に組み立てて、
初めて人にちゃんと伝わる。

(論理的にというのは、
本という形式(構造)の把握、
ページ数と物語と挿絵のバランスとか、
他のアイディアとの差別化、
読み手の知識量の想定とか。)

だけど、論理的な方だけに
傾倒してしまうと、
つい、面白いと思ってた、
ほんとうの気持ちを
見ずに平気でいてしまう。

面白いってこと、
自分は知っている、
そんなこと当たり前、
…と思うがあまり、
周りの面白い現象を見過ごしている。

そこ、大事だよなあ。
ほかの人がどんなことを
面白いと感じているのか、
体験談を聞きたい。

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