隠れる。
トーベ・ヤンソンの短編集
「クララからの手紙」を読んでいます。
「夏について」
という一篇がとてもいいんです。
*
夕陽が沈もうとしているとき、
浜辺にぼろぼろの樽を見つけ、
それをまっすぐたてて、
もぐりこむ。というシーンがあります。
嵐のあとで、
水位が大分あがってきて、
野原もみずびたし。
水のなかの草を踏んで歩くと
気持ちよさそう。
たぶん、樽は底が抜けていて、
水が、草ごと浸水している。
天井は蓋がしてあると思われ、
ちょうどいい穴から
太陽が焔のように赤く、内側を
染めている。
だんだん暖かくなる水温。
樽の中で腰をおろして、
「だれもわたしがここにいると知らない。」
…と、思んです。
*
こういうふうに
周りから隠れてみるのって
ぼくも非常に好きで。
ときどき、
押入れにもぐって、
ぼーっとすると、いい心地がします。
なんだろう。
暗くて、ほどよく狭いところにいると
自分に意識が戻ってくる、
という感触があるんです。
これ、分かる人いるかなあ。
あ、いま、自分がここにいる
っていうかんじ。
瞑想する、とか
座禅みたいな感覚と似ていると
思うんだけれど。
なにか、煮詰まったときとか、
うまくまとまらず、
もやもやしたときに
よく隠れます。
*
なにから隠れているのか、
と言われるとね、うーん、
「周りとつながっている」という
感覚から隠れるという感じ。
とりあえず、周りは無視して、
自分はどう思うんだ?
としずかに一人会議をして
こころを穏やかにするというような。
2021/07/01