違和感が消える瞬間
なまあたたかい夜道を歩いていると、
だれもない公園の真ん中で
老人がひとりで立っているのを見かけた。
なぜかホールドアップしたポーズを
している。どきっとする。
アメリカの犯罪者に狙われたときの
様子とおなじだ。
苦々しい表情をしている。
しかし、まわりには誰もいないはず。
いや、まさか、と想像が頭をよぎる。
見えない草影からスナイパーが狙って
いるのかもしれない。
とんでもない事件に巻き込まれると
困るので、
目だけ注視しながら遠巻きに歩いて
通り過ぎようとした。
なんにせよ、明らかにおかしいポーズを
とって、じっとしているのだから。
すると、老人はそのポーズをやめ、
今度は足をぐぐっと伸ばしはじめた。
そこでようやく分かった。
あれはストレッチだったのだ。
*
話は変わるけど、作品を作ると
大抵、違和感のあるものになってしまう。
元来が「変なもの」を作りたいと思うので、
革新的、とか、芸術的、
という意味では違和感があってこそ、
なのかもしれないけど、
エンターテインメントを前提とすると
「変さ」が違和感としてではなく、
おもしろさとしてすっと伝わってほしい。
さっきの「変な老人」も、
ストレッチをしている、と思えばこそ
すんなりと存在を認めることができる。
*
日常には、そのように、
一見おかしいことはいくつもある。
電車に乗っていると、
とつぜん、叫び声がきこえた。
「むおー!むおー!」
かなり大きな音だ。
ぼくは、うとうとしていたので、
はっと目が覚めて
なんだ、なんだ、と思ってみるが
周りはなんら変わりなく平然としている。
「むおっ!」
またこの声だと思って、その方向をみると
ハンカチを顔にあてたおじさんだった。
くしゃみだったのだ。
くしゃみだと思えばこそ、
唐突に絶叫に近い声を発しても、
みんなは平気でいられるのだ。
*
他にもこんなことがある。
本屋をうろうろしていると、
反対側の棚の向こうから声がする。
商談をしているような事務的な話だ。
しかし、「相手」の声が聞こえない。
ふと声の聞こえる棚の方に移動すると
スーツを着た男が、本を手にとりながら
一人でしゃべっていたのだ。
電話を手に持っているわけでもない。
こいつ、一人でしゃべってるヤバい奴だ。
と思って、
と横を通り過ぎようとした時に、
耳もとを見ると、
無線電話を耳につけていた。
あ、なんだ、やっぱり電話だ。
電話だと思ったとたんに、ちゃんとした
サラリーマンに見えてきた。
…
一見、変なことに思えても、
変なことじゃなくなる
きっかけってのがあるんだな、と思う。
なんだろうな。
2015/06/02