ことばのロボットいろはちゃん 更新2020/8/5

近所の「裏日本」

今年の1月に引っ越しをしました。
土地で選ぶというよりも
物件で選んだので、
場所は「たまたま」決まった、といっても
過言じゃない。

つまり、どこでもよかったんだけど、
(どこにしたって住めば都というし)
とにかくいい物件なのに
え、こんなに安いの?
という事故物件さながらのところを
見つけたから決めた、という。

(ちなみに、事故物件を検索するサイト
大島てるによると、幸運にも
うちは事故物件ではないようだった、
がしかし、
となりのアパートに炎マークが。
ベランダに出ると、時々思い出して
遠い目になる。)

趣味は散歩あるいは徘徊なので、
周辺を巡ると、思わぬ発見がある。

図書館の分館が区内にちりばめて
たくさんあるので、
そこを基点にめぐっていくんだけど、

その途中で、
石井桃子さんの「かつら文庫」や
詩人のT川さんらしきご自宅を見つけたり、
角川さんちの庭園があったり、
高畑勲とプロデューサーが
「かぐや姫の物語」の企画を作るのに
泊まり込みで合宿したという西郊という
昔ながらの旅館があったり、
音楽評論家大田黒元雄の自邸を
整備し、1981年10月1日に開園した
庭園公園があったり、

ごくごく一般的な住宅街のなかに
古くて、大きくて、藪があって、
その隙間から、昭和な照明
(球体の電球色の月のような)が
静かに灯っているような家や
ツタが絡まった、空き家なのか
まだ住んでいるのか、あやしい家
なども見かける。

時間のうねりを見るようで
とてもおもしろい。

うねりというと、
空間もうねっている。

同じような住宅が続くので、
まるで葉っぱの葉脈のなかに
迷い込んだように、あっとうまに
自分の居場所が分からなくなる。

とくに川沿いの雑木林を歩いていると、
おそろしく方向音痴になってしまう。

川はヘビのようにうねうねと
大きく方向転換をする。
けれど、ゆっくり歩いていると
一本道を歩いているだけ、としか
感じないので、
さっきまで並行していた幹線道路が
交差していたり、
全く別の通りと並行したり。

同じ場所、同じ分岐で
なんどもなんども、道を間違えて
しまう。

困ってしまうけれど
おもしろくも、不思議。

河出書房新社「地図(不思議な夢の旅)」
という本で、
吉増剛三が萩原朔太郎の猫町の引用で
こんなことを書いている。
(以下かいつまんで)

「私は自分の養生に注意をし始めた。
運動のための散歩の途上で、或る日
偶然、私の風変わりな旅行癖を
満足させ得る、
一つの新しい方法を発見した。
私の通る道筋は、いつも同じやうに
決まって居た。だがその日に限って、
ふと知らない横丁を通り抜けた。
そしてすっかり道をまちがへ、
方角を解らなくしてしまった。」

そこで、見たこともない
不思議な土地に来たような錯覚を
起こしたのだという。

「私は夢を見ているよやうな気がした。
それが現実の町ではなくなった、
幻燈の幕に映った、影絵の町のやうに
思はれた。
だがその瞬間に、私の記憶と常識が
回復した。気が付いて見れば、
それは私のよく知ってる、
近所の詰まらない、有りふれた郊外の
町なのである。」

迷っているうちに、
裏の世界いわば「裏日本」に
迷い込んでしまう瞬間があるんだって。

あ、そういうことか!と。

ぼくが道に迷いすがら
異様な家々を見つけたり、
方向感覚を失ったりすることで
感じるあの高揚感は
「裏日本」つまり、知っている道の
すぐわきに潜んでいる「あっちの世界」
なんだろうな。

ぼくが海外旅行に行ったことがない
言い訳として、
近所で大体、好奇心は済んでしまう
と言ったりするんだけど、
そういうことなのかも。

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