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言葉を知るということ

なんでことばあそびなの?
とよく聞かれる。
 
「だって、ことばだったら、
理論的な構造(ちょうどパズルのような)
を作ることもできるし、
文学的な情緒を表現することもできる、
便利な素材だから。」
 
と答えたりするけど、なんか
てきとうに答えている気がする。
はたして、ほんとのところどうか。
 
今はなんというか、課題のようだと思う。
0から自分で企画する、というより
最初に企画ありきで考えることが多い。
 
それを可能なかぎり理想に近い形か
それ以上で回答でしようとする試みが
面白いし、できる限りの力を注ぎたい。
 
いろんな方のお誘いによって、
育まれているというか。
他の方々が、ぼくや二歩を見る想像力の賜物。
 
だから、「なんでことばなの?」という
動機はあんまり重要でなくなっている。
「ことばでどれだけ面白がれるか」から
スタートしている気がするから。
 

 
その中の一つであり、
「ことばで何ができるんだろう」という、
一番途方もなく、かつ面白がれる
企画がある。(まだ秘密だけど。)
 
そこで考えていることと、ネタを、
この作文でなんとなーく、
書いていきたい。
 

 
「ことばってなんだろう」のひとつの
手がかりとして考えていることは、
「知っている」ということ。
 
自分以外の人がなにを考えているのか、
自分の五感の範囲から外に出たものが、
どのように動いているのか、
「知っている」(あるいは気がつく)ことで、
想像できる。
想像もできるし、推論もできる。
 
2つの解釈ができる。
 
ひとつは物語として(殊に児童文学)。
子どもにも、大人の立場を知る視点や
自分がひとりだけでいるのではない、
というような「広い視野」から、
あらたな気持ちが得られるように思う。
 
もうひとつは科学の視点。
科学の最たる特徴である「くり返す」
という仕組みのおかげで、一度そうだったと
突き止めることができると、
なんどでもそれを予測して
言い当てることができる。
 
たとえば、嵐のあとの快晴には
虹ができるものだ、とか。
火を燃やすと二酸化炭素が出る
とか。
 
そういう過去の業績の積み重なりが
知識となり、身体だけで感じる
以上の、広い視野が体感として備わる。
 
言葉が、こうした
遠くのものを想像する力に、
大きな影響を与えていると思う。
 
もうちょっと具体的に
今後書いてこうっと。

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