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言葉の観察とは?

絵においての「観察」は
目で見たままを写し取ること。
 
では、言葉においての観察って
一体なんだろう、と思う。
 
そもそも、景色を眺めた時や
人と出会った時なんかは、
言葉ではないものを
目の当たりにしている。
 
言葉をみて、
言葉を描いているのではない。
 
この辺りが、絵と違うところ。
 

 
絵は見たままの特徴を
そのまま描くことで表現となる。
 
けれど、言葉は「なにか」を
直接うつしとったものではない。
 
変換を必要とする。
なにかを語る際の媒体としてある。
 
うーん、例えば、幸せな気分の時に、
「幸せ」という言葉を
目にしているわけではない。
 「幸せ」という言葉で、
とりあえずの今の状態を
代弁している、ということになる。
 
だから言葉は現実に対して、
間接的なものなのだなと思う。
 
したがって言葉は「仮の状態」として
表現されている、と考える。
 
体験を言葉に圧縮し、
それを読む人が解凍する、
といういくつもの隔たりが
あるというふうに。
 

 
でも、と思う。
もっと直接的に言葉を
観察できないだろうか。
 
ここで「語感」に着目する。
 
語感は言葉と体験が結びついて、
熟成されるもの。
 
実体験とは異なるかもしれないが、
言葉の上での「そう感じている」
という直接的な事実が
あるような気がしている。
 
一つの単語が、
あるいはその組み合わせによって
言葉から印象が生まれるのか。
 
なんだかうまく言えないけど
言葉を香水みたいに調合して
匂いをかもしだす実験こそ、
「言葉」の観察だと思う。
 

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