言葉の観察とは?
絵においての「観察」は
目で見たままを写し取ること。
では、言葉においての観察って
一体なんだろう、と思う。
そもそも、景色を眺めた時や
人と出会った時なんかは、
言葉ではないものを
目の当たりにしている。
言葉をみて、
言葉を描いているのではない。
この辺りが、絵と違うところ。
絵は見たままの特徴を
そのまま描くことで表現となる。
けれど、言葉は「なにか」を
直接うつしとったものではない。
変換を必要とする。
なにかを語る際の媒体としてある。
うーん、例えば、幸せな気分の時に、
「幸せ」という言葉を
目にしているわけではない。
「幸せ」という言葉で、
とりあえずの今の状態を
代弁している、ということになる。
だから言葉は現実に対して、
間接的なものなのだなと思う。
したがって言葉は「仮の状態」として
表現されている、と考える。
体験を言葉に圧縮し、
それを読む人が解凍する、
といういくつもの隔たりが
あるというふうに。
*
でも、と思う。
もっと直接的に言葉を
観察できないだろうか。
ここで「語感」に着目する。
語感は言葉と体験が結びついて、
熟成されるもの。
実体験とは異なるかもしれないが、
言葉の上での「そう感じている」
という直接的な事実が
あるような気がしている。
一つの単語が、
あるいはその組み合わせによって
言葉から印象が生まれるのか。
なんだかうまく言えないけど
言葉を香水みたいに調合して
匂いをかもしだす実験こそ、
「言葉」の観察だと思う。
2012/12/10