言葉なんて…
ん?なんか変だなと思ったこと。
数年前、とある場所で働いていたとき。
かなり年上の上司とお昼を食べていると
「なんか勉強してる?」
と聞かれた。
勉強?
ちょっと考えて、思い当たるのは
当時働きながら個展の準備を
こつこつしていて、そのために
いろいろ考えたり、調べたりしていたので…
でも、それは勉強にあたるのか、と。
仕事とは関係のない個展について
どのくらい興味をもつだろうかと、
ちょっと遠慮しつつ
「うーん、勉強ってのは…あんまり」
と答えると、「そっか」と。
その場の答え一つで、
勉強しないやつ、と思われてしまったようだ。
*
類似の話でもうひとつ。
友だちに好きなアメリカの作家はだれ?
と聞かれて、
いくつかあるにはあるのだけど
思い出せずに「うーん」と唸っていると
すぐに出てこないってことは、
そんなに入れ込んでいる人が
いないってことだよね、と。
え、そうなの?
と思いつつ、そうかもしれないな、
と答える。
*
そういう時って、たいてい
家に帰ってから、ああ、あのとき
こんなふうに答えていれば
ちゃんと自分の思いを伝えられたのにな
と思って反省する。
*
でも、そこで、ん?と思う。
どうして、その場の遠慮や、
うまく言えないってことが
真に受けられてしまうのか、と。
どう思われようが別にいいにしても、
問題なのは、言葉の表面的な部分が
割りと真に受けられるんだなと。
それで、言葉をうのみにすると、
ときどき本当の部分は分からなくなるよな、
と思うようになった。
言葉なんて、大したことないよと。
だいたい、言葉のちょっとしたニアミスが
深刻な悩みになってしまうほど
くだならいことはない。
まるで言葉に化かされているような。
*
一方で、言葉は、こんなこともする。
村上春樹のデビュー作の
「風の歌を聴け」を読んだことを
おぼろげに思い出したんだけど、
たしか、
10代の頃にすごい発見をしたと。
文章を書くという事は、
自分のちょっとした操作で、
自由に世界を変え、描くことができる。
つまり、世界は自分の意のままであると。
そんなことが書いてあった。
*
言葉の通り、のおかげで
自分が伝えられないこともあれば、
同時に自由に作り変えることもできるのが
言葉なんだなと。
すごくあやふやのまやかしなんだよな。
だけど実際は、まるで
「言葉が嘘をつかない」と
人がみんな頭じゃないところで刷り込まれ
認識しているらしく思える。
言葉がない、しずかなところで、
思いを眺めることが、
(そしてそれを実践することが)
本当のことであって、
言葉によってうまれる深刻さや
しがらみは、できるだけ崩したいし、
同時に、言葉では、たのしいまやかしが
つくれるのだ、
ということを思っています。
それを活動の基盤したいなと。
2020/11/08