2020.11.08

言葉なんて…

ん?なんか変だなと思ったこと。

数年前、とある場所で働いていたとき。
かなり年上の上司とお昼を食べていると
「なんか勉強してる?」
と聞かれた。

勉強?
ちょっと考えて、思い当たるのは
当時働きながら個展の準備を
こつこつしていて、そのために
いろいろ考えたり、調べたりしていたので…
でも、それは勉強にあたるのか、と。

仕事とは関係のない個展について
どのくらい興味をもつだろうかと、
ちょっと遠慮しつつ
「うーん、勉強ってのは…あんまり」
と答えると、「そっか」と。

その場の答え一つで、
勉強しないやつ、と思われてしまったようだ。

*

類似の話でもうひとつ。

友だちに好きなアメリカの作家はだれ?
と聞かれて、
いくつかあるにはあるのだけど
思い出せずに「うーん」と唸っていると
すぐに出てこないってことは、
そんなに入れ込んでいる人が
いないってことだよね、と。

え、そうなの?
と思いつつ、そうかもしれないな、
と答える。

*

そういう時って、たいてい
家に帰ってから、ああ、あのとき
こんなふうに答えていれば
ちゃんと自分の思いを伝えられたのにな
と思って反省する。

*

でも、そこで、ん?と思う。
どうして、その場の遠慮や、
うまく言えないってことが
真に受けられてしまうのか、と。

どう思われようが別にいいにしても、
問題なのは、言葉の表面的な部分が
割りと真に受けられるんだなと。

それで、言葉をうのみにすると、
ときどき本当の部分は分からなくなるよな、
と思うようになった。

言葉なんて、大したことないよと。

だいたい、言葉のちょっとしたニアミスが
深刻な悩みになってしまうほど
くだならいことはない。

まるで言葉に化かされているような。

*

一方で、言葉は、こんなこともする。

村上春樹のデビュー作の
「風の歌を聴け」を読んだことを
おぼろげに思い出したんだけど、

たしか、

10代の頃にすごい発見をしたと。
文章を書くという事は、
自分のちょっとした操作で、
自由に世界を変え、描くことができる。

つまり、世界は自分の意のままであると。

そんなことが書いてあった。

*

言葉の通り、のおかげで
自分が伝えられないこともあれば、
同時に自由に作り変えることもできるのが
言葉なんだなと。
すごくあやふやのまやかしなんだよな。

だけど実際は、まるで
「言葉が嘘をつかない」と
人がみんな頭じゃないところで刷り込まれ
認識しているらしく思える。

言葉がない、しずかなところで、
思いを眺めることが、
(そしてそれを実践することが)
本当のことであって、

言葉によってうまれる深刻さや
しがらみは、できるだけ崩したいし、
同時に、言葉では、たのしいまやかしが
つくれるのだ、
ということを思っています。

それを活動の基盤したいなと。